迷路の先にみえたもの ―『エマ』― 【語学と文学】

木梨 由利

もう10年ほど前にもこのサイトでジェイン・オースティン(1775-1817)のPride and Prejudice(1813, 邦訳『高慢と偏見』など)をご紹介したことがあります。オースティンが亡くなってからはや二百年近くが経とうとしていますが、2006年には日本でも「日本オースティン協会」が創設されるなど、本国イギリスでも諸外国でもオースティン人気は衰えるどころか、ますます高まっているように思えます。今回は、彼女のもう一つの傑作、Emma(1816, 邦訳『エマ』)をご紹介いたしましょう。

ウッドハウス家の二女、エマは21歳。美しく、才気煥発で、家柄や財産にも恵まれて、ハイベリーの村では肩を並べるもののない女王様のような存在です。母はエマが幼いころに亡くなり、姉は嫁ぎ、健康を気遣うあまり少々面白みには欠けるものの穏やかで優しい父との二人暮らしという生活で、彼女は自由にのびやかにふるまっています。 ただ、彼女のよき友人で相談相手でもあった家庭教師のテイラー嬢が、ウェストン氏と結婚してウッドハウス家を出た今、いささか侘しい思いにとらわれてもいます。結婚式の後ほどなく、近所の学校に特別寄宿生として寄宿しているハリエット・スミスを紹介された時、エマがハリエットをたちまち気にいるのは自然な流れとも言えましょう。エマ好みの美しさを備えていて、素直で気立てのいい17歳の少女は、私生児で、すでに母もいませんが、どこかの貴族の娘ではないかとの推測もあり、エマは、ハリエットを教育していい縁組をさせようともくろむのです。エマは、テイラー嬢をウェストン氏に引き合わせたのは自分だと思い、自分には縁結びの才能があると自負しているからです。 そして、ハリエットに、農夫のマーティン氏からの求婚を断らせ、青年牧師、エルトン師と結び合わせようとします。エマの姉の義兄にあたり、エマ自身の親しい友人でもある地主のジョージ・ナイトリー氏は、ハリエットの人生に介入しようとするエマに強く反対しますが、エマは聞く耳を持ちません。エルトン師がたびたびウッドハウス家を訪れ、エマが描いたハリエッとの肖像を絶賛し、いそいそと額縁を買ってくる姿を見て、エマは、エルトン師もハリエットのことが好きなのだと、成功を確信します。

「こわい嫁さんの話」――<曖昧性>の話――

中島 彰史

私は学校で「言語学概論」という授業を担当しています。「言語学概論」の授業では、その存在すら普段はあまり意識したことがなく(例えば、空気のような存在である)、考えたこともない「ことば」についてあれこれ考えます。言語学は他の学問とは違って、皆さんが(母語の場合なら)自由に扱える「ことば」を対象にするので、特別な知識なしに自分なりに考えることができます。つまり、これからの人生を送っていく上で、「自分の頭で考える」という非常に大切な習慣を身につけるためにも、格好な授業のひとつだとも思っています。

「ことば」というのは様々な役割や側面を持っていますが、その中で重要なものとして、伝えたいことを伝達したり理解したりする手段としての役割を持っていることは明らかでしょう。ここで「伝えたいこと」を簡単に「意味」という単語に置き換えると、「ことば」について考える時、「意味」を抜きにしては考えられないということになります。以下では「意味」をあれこれ考えてみることにします。

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エーリヒ・ケストナーの世界 ―たくさんのユーモアとほんの少しの切なさと―

水井 雅子

エーリヒ・ケストナーをご存知ですか? 19世紀の最後に生まれて、75年の生涯の殆どを20世紀に生きたドイツの作家です。ということは、第一次世界大戦も第二次世界大戦も経験したってことですよね。一つは十代のときに、次の戦争はもう中年になってから。時代は人生に大きな影響を与えるものですが、彼の子どもの本に直接、戦争の影を感じることはありません。でも、そのために本当に大変な人生を送った人です。 この人の作品を私は子どものときから好きでしたし、今でも時々本棚から引っ張り出して読むのですが、そうするとその面白さにはまり、結局次々と、ケストナー全集を時間がある限り読んでしまいます。子どものときにも大人になってからも、読む人を引き付けずにはおかない作品って、すごいと思いませんか? 世代を超えて愛される条件って何だろう?一つには、読む相手が子どもだからという理由で時には辛い現実を隠す、などということをケストナーがしなかったからでしょうね。彼の作品は、登場人物も物語の成り行きも朗らかでスリリングで、ユーモアがいっぱい詰まっていますが、でもただ単純に明るい、というのではないのですね。その明るさの向こうに時に悲哀が見え隠れしています。しかし決して悲壮でもなければ哀れっぽくもない。辛い現実を踏まえた上で、それを承知しながらも、臆することなく前向きに生きていく主人公たちが本当に魅力的です。

言語学漫談を楽しもう

小原 金平

『脳がほぐれる言語学―発想の極意』(金川欣二著、ちくま新書)という本がある。高度な言語学の議論を内容にしながら、話を漫談風に展開させている。ギャグが連発され、話題が自由自在に飛び回るのでまとまりのない本のように思われるが、この一貫性がないように見えるのがむしろ魅力である。著者もあとがきで「この本を読んで言語学ではなく、言語ギャグだと思った人もいるかもしれないが、僕が色紙に書くのは「ギャグもまた真なり」なので諦めてほしい」と断っている。本の宣伝文句には、「“笑う言語学”による「創造的なひらめき」を得るためのヒント集」とある。なるほどと笑えることが多い。一度さらっと読み終えて、次は考える材料を求めて読み返すのがいい。

アジアンテーストのファンタジーあれこれ

水井 雅子

ファンタジーの発祥の地はイギリスだし、質的にも量的にも世界はなかなかイギリスには追いついていないのですが、21世紀になってから日本にも、宮沢賢治以外に世界に紹介したいファンタジーが色々と出てきているのは嬉しい。 作品の舞台は、日本の古代がそのモデルになっているらしいものやら、韓国だね?と言い当てたつもりになる作品、国籍不明で西洋風が東洋にミックスしたようなものから、中国を含むアジアがまとめて舞台となっているんじゃない?と思うようなものもあって、この「アジアンテースト」が、中々に彩り豊かではあるのですね。 これが翻訳ものまで見ていくと、中国を舞台にしていることが明らかなものから、古代のインドかな?と思うような作品もあります。でもそこまで手を広げると、紹介したい理由が散漫になってしまうので、今日は日本発の作品に限ることにします。 ファンタジーというジャンルの作品でありつつ、日本の作家たちの文章が、当たり前のことながら実に日本的なので、今日はそれを言いたいわけなのです。