クリスマスに心温まる贈り物 ―ロザムンド・ピルチャーによる20の短編―

木梨 由利

街にはクリスマス・ソングが鳴り響いて……。またクリスマスのシーズンがやってきました。クリスマスがイエス・キリストの降誕を祝う日であることは今さら言うまでもありませんが、その日はまた、平生は離れて暮らしている家族や親戚が一堂に集う時でもあります。故郷の暖かさ、人と人との絆の大切さを改めて感じる、そんな時です。 その一方で、この一年で、自分自身や愛してくれるべき身近な人によってさえ、どれほど多くの命が失われたことかと思うと暗澹たる気持にならざるを得ない年の瀬です。窓の外も心の中も凍りつきそうになるようなそんな時こそ、人の心の温かさを描いて、ほっこりと心を暖めてくれるような、ロザムンド・ピルチャー(1924〜)の作品の世界を覗いてみたいと思います。

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時代の風に吹かれる子どもたち -K・パターソンの作品―

水井 雅子

社会が問題を抱えているとき、そのあおりをまともに受ける犠牲者は子どもたちである、ということを考えたことはありますか?その端的な例は戦争でしょう。子どもに関わりないところで大人が勝手に始めた戦争で、どれほどの子どもたちが悲惨な目にあっているかは、最近のテレビの報道などからも良くわかります。戦争は、余りにも暴力的に突然、日常性を変えてしまうので、それが異常な状況だということは、誰の目にも明らかですから。

しかし、戦争だけが問題を抱えている社会を示しているわけではありません。その変化が一見緩やかで、日常性がそれほど崩壊してはいないように見えても、確実に崩壊している中に身をおいている子どもたちもいます。現代は生きにくい時代だとよく言いますが、それはある意味、本当です。社会が複雑に進化すればするほど、学ぶことも多く、大人になるのも遅くなり、複雑な社会に適応すること自体が難しい状況になることは想像に難くありません。大人でさえ、中で感じるストレスも大きく、それ自体が社会問題になっています。本来、子どもを守ってくれるはずの家庭も、もろく壊れやすく、頼りになりません。光の部分が大きくなれば闇もまた大きくなり、安全も買わなければならない時代です。そして世界が豊かになったと言われつつ、その恩恵を蒙らない子どもも大勢います。

「宮廷女官 チャングムの誓い」と単語を覚える勉強

中島 彰史

いきなり言葉の話で恐縮ですが、日本語で行為が行われる場所を表すには一般的に「で」という助詞を用います。例えば、「香林坊で友達に出会った」のように。お隣の国、韓国の言葉(韓国語には日本語と同じように、「助詞」が存在します)ではこのような時、「エソ」という助詞を使います。そして、「エソ」は行為の場所以外に移動の出発点を表す時にも使います。つまり、日本語の「から」に相当する用法もあるのです。行為の場所と移動の出発点を表すのに、日本語の共通語は異なる言語形式を用いるのに対し、韓国語では同じ形式を用いています。ところが、韓国語と同じような振る舞いを見せるものが日本語の方言の中にあるそうで、鳥取県東部方言がそれです。日本語と韓国語の言語学的親族関係はいまだ証明されてはいませんが、語学的な興味を引く言語事実だと思います。このように近い存在である朝鮮半島の事に関して、少し前から、ドラマなどをきっかけに、いわゆる、韓流ブームが起こっています。

鈴木大拙と英語

川畑 松晴

鈴木大拙という名前を聞いたことがあるだろうか。最近、地元の北國新聞が彼の没後40年を記念した企画「禅ZEN 鈴木大拙没後40年」を連載しているので、それで知った人もいるかもしれない。(これは、アメリカやヨーロッパで直接取材も行っているなかなか意欲的な記事である。バックナンバーも含めて、ぜひ読んでみてほしい。)

空前絶後の「世界の禅者」 この見出しはあながち誇張ではない。「不立文字 (ふりゅうもんじ)No dependence on words and letters (言葉や文字で伝えることはできない)」と称し、「悟り体験(experiencing satori-awakening)」によってのみ感得されるという禅は、大拙によって初めて本格的に西洋に紹介された。英語という言葉を通じて。 「世界の禅者」鈴木大拙は、明治3(1870)年、金沢市本多町の生まれ。彼が、本格的に世界に向けて、禅、そして日本(と東洋)の精神について講演行脚をするようになったのは、太平洋戦争で日本が無条件降伏をしてからである。時に75歳。現在の長寿社会でもとっくに定年期を過ぎている。それまでも仏教や禅に関する訳書や著作を出版し、アメリカ在住12年の経歴はあったが、敗戦後の彼の世界へ向けての活動は目覚ましい。とくに80歳からは連続9年、アメリカやヨーロッパの大学および国際会議に直接足を運び、講演活動を続けている。仏教、とくに禅の世界的な広がりを促がした功績において、大拙の右に出る者はいまい。また、これから出ることもないのではないか。95歳という高齢で静かな死を迎える直前まで「達者」に講演や著作を続けた大拙、そして、禅の本場である日本に生まれながら、「達者」な英語で多くの著作・講演を続けた大拙は、まさに稀有の「行動する禅学者」と言えよう。筆者は、二つの「達者」のどちらにも興味を惹かれるが、本論は後者の英語に絞って紹介したい。

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すてきなクリスマス・プレゼント ―『クリスマス・キャロル』―

木梨 由利

街には軽快な「ジングルベル」のメロディが流れ、クリスマスがあとしばらくでやってきますね。そんな季節にちなんで、今月は、イギリス小説「クリスマス・キャロル」(A Christmas Carol, 1843)の世界を覗いてみましょうか。

主人公のスクルージは、金貸しで守銭奴のおじいさん。今日も、クリスマス・イブだというのに、石炭をけちったために体が凍りつきそうに寒い事務所で、事務員のボブ・クラチットと二人でせっせと仕事をしています。甥のフレッドがクリスマスの食事会への招待に来ても、「クリスマスなんてくだらん!」と断るし、二人の紳士たちが貧しい人達のための寄付を頼みに来ても、「わしの知ったことじゃない」と、けんもほろろに追い返します。何でそんなのが主人公なのって、ふしぎに思うかもしれませんけれど。

さて、その夜、スクルージの前に、かつての共同経営者、マーレーの幽霊が現れます。生前金貸しの仕事に励みすぎた報いとして、死んでから7年間、重い鎖をつけて、天国へ行くでもなく地獄へ落ちるでもなく、ずっと旅を続けているのだとか。ここへやってきたのは、商売仲間だったよしみで、スクルージが自分のようにならずに済むようにするためで、彼のところへ翌日から毎夜3人の精霊が相次いでやってくると告げて姿を消します。

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