人の移動と社会学【人間学への招待】

中西 茂行

30年程以前のことになるが、国立民族学博物館の東ヨーロッパの展示コーナーでジプシー(ロマ ※注)たちのすみかである「ルーロット(家馬車)」を見たことがある。綺麗な内装が施されたそのキャンピングカーのような乗り物の説明文に、「主人が死ぬと、この馬車は燃やすことになっている」という風なことが書かれてあり、軽いショックを受けた覚えがある。私の脳裏に浮かんだのは、多分、その頃学んだ日本民俗学の本に取り上げられていた、九州、瀬戸内海の漁民の生業のための家産、「家船(えぶね)」の扱いとの相違であったと思う。漁業を生業とし、近世に至るまであるいは明治期に至るまで、ほとんど海上の船で家族が生活を成していたこの漂泊民の人たちは、移動する生活という点では、「ルーロット」で各地を移動するジプシーの人たちと似ている。しかし、移動手段、生活資産に対する扱いがまるで違う。一方は、焼却してしまう。他方は、末子相続と言って、一番末の子に家産として譲り渡すのである。(竹田旦, 1970, 『「家」をめぐる民俗研究』)。 つい最近、私のこの軽いショックに答えてくれる文章に巡り合った。その著者は、ジプシーの「ルーロット」焼却のことを述べ、続けて、次のようなエピソードを紹介している。

「環日本海民俗学」について

益子 待也

思わぬきっかけから、「環日本海民俗学」というテーマを追いかけることになった。歴史学者の故網野善彦氏による『「日本」とは何か』(2000年、講談社) という本の冒頭には、大陸から見た「日本海」を描いた地図が載っている。その地図は、富山県が平成6年に当時の建設省国土地理院長の承認を得て作成したものだが、わたしたちが日ごろ見慣れている日本や日本海がまったく異なった姿で描かれていることに驚かされる。韓国では「日本海」を「東海」と呼んでいるが、わたしは今ここで「日本海」の呼称に固執するつもりはないし、また「日本海」という呼称についての論争を展開しようというのでもない。ただ、大陸側の視点から描かれたその地図を見たとき、わたしたちにとって familiar であるはずの「日本海」が、大陸側から見ると、日本列島や朝鮮半島や中国大陸やロシア沿海州やサハリン島(樺太)に囲まれた exotic な「内海」に見えるということを知って、わたしは、軽いカルチャー・ショックのような意外な感覚を覚えたのである。

「トーテムポール」のはなし

益子 待也

今年の7月初めに、東京のNHKの奥秋さんという人から電話がかかってきて、カナダのハイダ・インディアンの「トーテムポール」について知りたいので、教えてほしいという。毎週土曜日に放映されている『探検ロマン 世界遺産』という番組で、世界遺産としての「トーテムポール」の番組を作るのだそうだ。 ちょうど7月には、わたしも網走の北方民族博物館で「美術の人類学」と題して、「トーテムポール」を含めた美術様式に関する研究発表を行う予定だったので、網走に来てわたしの発表を聞いてみませんかと答えたら、本当に7月に網走で出会うことになった。

民間学とアカデミズム

中西 茂行

「クラシック音楽以外はこのステレオでかけないように」。これは、40数年前に某高校の音楽教師の口から発せられた言葉として、ある方が、話して下さったものです。その学校のある先生が、当時発売されたミュージカル「マイフェアレディ」のレコードを音楽室のステレオで聴いていたときに、その音楽の先生がそのことをとがめて発せられた言葉です。 異なる二種の音が左右のスピーカーからでて、音響の立体的複合性をつくるステレオは、当時、貴重な装置でした。その高貴な教育装置であるステレオにクラシック以外の音楽をかけるなどとんでも無い!というのです。 皆さん、今の音楽教科書に、いわゆるクラシック以外の楽曲が入っていないなんて考えられないでしょう。私がちょっと調べただけでも「涙そうそう」「翼をください」「見上げてごらん夜の星を」「少年時代」そして、「川の流れのように」とあります。ご存じの方も多いかと思いますが、「川の流れのように」は、かの演歌の女王、美空ひばりのヒット曲ですよ。

チベット文化とチベット仏教

槻木 裕

大学院のときにチベット語を習ったことがある。僕は学生のときに西洋哲学をやっており、文献的な興味よりも教理的な興味がはるかに強かったので、あまり身を入れてチベット語をやる気にはならなかったけれど、仏教を文献的に研究しようとするならチベット語の修得は必要不可欠だった。これは今でも変わらない。