「フロンティア精神」のたまもの

『CLUB』編集長の丹羽麻理さん(本学一期生)からのメッセージ

新村 知子

丹羽麻理さんは、とても個性的な、エネルギーにあふれた、瞳に輝きのある学生でした。彼女は、本学が短期大学から四年制女子大学に変わった初年度に入学した、いわゆる第一期生です。すべてが初めてのことばかり、決めなければいけないことばかり、先は全く分からない、けれど学生たちも教職員も皆気持ちが熱い人ばかりという時代。そんな中でも一際目立った彼女は、「いったいどんな社会人になるんだろう?」という私たちの興味と不安をよそに、彼女は地元情報誌の編集業界に飛び込み、苦労を重ねながらついに編集長になりました。

今月の学科ニュースは、そういう丹羽麻理さんから皆さんへ送るメッセージです。

「フロンティア精神」のたまもの

情報誌『CLUB』編集長 丹羽 麻理 (奥田 麻理)(本名は奥田麻理、旧姓の丹羽はビジネスネーム)

私が大学生活を送っていたのは、昭和という時代が終わり平成へと移った、バブル期最後の頃。その時代に大学生だったと言えば、さぞかし派手なキャンパスライフを謳歌していたに違いないと思われがちだが、入った先は金沢の山奥にできたばかりの女子大学。しかも一期生だったため、学内にはほんのわずかの学生と、やる気満々の教授陣と職員だけしかいない。代返の攻防もトライ&エラーの連続だし、効率的な単位の取得方法を伝授してくれる先輩もいない。

そういうわけで、大学生活を通して「フロンティア精神」だけは養えたのではないかと自負している。もちろん、英米文学科で学んだということも多少は手伝っている。何の授業だったかは忘れたが、視聴覚教室で『シェーン』という映画を見て、なぜか西部開拓時代の人々のパワーに魅了され、後の就職活動では、創業間もない新しい会社で一緒に何かを築きたい、と思うようになり、「できたばかりの会社」という奇妙な基準で就職先選びを行った。そこで、当時まだ創業10年しか経っていなかった金沢倶楽部に入社を決めたわけである。

そんな会社で13年勤め続け、今でこそ、出版物の企画から、編集、制作、販売営業までを行うセクションの統括者として、または北陸の情報誌『CLUB』の編集長として仕事を行っているが、入社してから現在に至るまでの間には、実に様々なことがあった。雑誌編集にはじまり、パソコンでの誌面デザイン、広告代理店部門での広告営業など、慣れた頃には次々と新しい課題を与えられたものである。

ファッションショーの企画実行、海外取材やタレント取材など、一見華やかに見える仕事にも随分携わったが、それをやり遂げる過程の中では、その何倍も地味で大変な仕事もしたし、多少の困難もあった。経験の浅かった頃は、精神的、物理的な余裕のなさから、寝ずに仕事をすることもあったし、心身の疲労からヒステリックになったこともあった。

この5年半は、古巣の『CLUB』編集部に戻り、女性で初めての編集長として指揮を執ってきたが、慣れた頃に次の課題が与えられるのが会社の常。11月号の発売を最後に、編集長は後輩に引き継ぎ、また新しい仕事にチャレンジすることになっている。

私生活でも日々新しい挑戦の繰り返しだ。縁あって昨年結婚したけれど、相手が現役の国会議員だったため、今までの人生からは想像もつかなかったような経験をしている。それまでの私は、選挙や政治からはほど遠い世界で生きてきたので、見ることやることの全てが新鮮で珍しいのだ。よく「代議士の妻って大変でしょう?」と言われるけれど、大変というよりも未知の世界なので、大変具合を計るモノサシさえ無いというのが正直なところ。そもそも、人の妻になるという経験自体が初めてなので、私にとっては政治家の妻として夫とともに選挙を戦うということと、台所で手際よく料理を作るということは、同じレベルで大変なのである。

けれど、どんな困難にも挑戦する気持ちを忘れずに、目をそらさずに向き合えば、その分だけ得られるものは必ずある。それが36年の人生の後半で私が得てきたことだろうか。この先、どんな人生が待っているかはわからないし、ひょっとすれば、まだまだ想像を超えるような、とんでもないことが起きる可能性だってあるけれど、「フロンティア精神」を忘れずに、何事も前向きに受け止めていきたいと考えている。

鉄田 匡亮さん 平成15年3月卒業

鉄田 匡亮さん 平成15年3月卒業

鉄田 匡亮

陸上自衛隊金沢駐屯地・第 14普通科連隊の鉄田 匡亮(てつだ まさあき)です。

平日の日課ですが , 朝の起床は6時です。日朝実施後, 朝食です。駐屯地食堂開放時間は, 6時10分から6時50分までです。7時30分頃までに清掃, 身の周りの整理・整頓等を済ませて, 課業開始に備えます。

朝礼実施後 , 8時に国旗掲揚。これで, 一日の課業が開始となり, 午前中の訓練(勤務)を12時頃まで実施します。12時から13時近くまでが, 昼食時間, 昼休み時間となります。その後、13時から16時30分過ぎまで, 午後の訓練(勤務)があります。その後は終礼を実施し, 17時に国旗降下で, これで一日の課業は終わります。

これ以後は、就寝時間 (22時30分)までは自由時間です。17時以降ですが, 食堂開放時間は17時から17時40分まで, 浴場開放時間は17時から20時までとなっています。以上が一日の(基本的な)日課です。

一般の人には ,この起床時間は早く感じられるとは思いますが, 自分で訓練して慣れれば, それなりに早く起きれます。日頃からの訓練です。特に, 起床(点呼)時間や勤務開始時間等において, (集合)時間に遅れる事は絶対に許されません。実際に, 戦争(有事)が起きた時のことを考えてみますと, 一人でも行動が遅れるような人が出ると、その一人のために全体が身動きの取れない状態となってしまいます。そうなると連帯責任に関わってしまいます。そのような点をよく配慮しながら、一つ一つの行動を大切にしなければなりません。自衛隊に限りませんが, それ位厳しいのです。

トランポリンと私

―国際文化学科1年 世戸瑶子さん、トランポリンの海外遠征でカナダ・ケローナへ―

新村 知子

本学のトランポリン部の選手で全国的に活躍している選手は多いですが、国際文化学科1年の世戸さんもその一人です。今年の7月10日〜22日にカナダ・ケローナ市で行われた2004インド・パシフィック選手権大会に出場したので、今回はその報告を書いていただきました。

世戸さんは、今年度に入ってから、2004インド・パシフィック選手権(カナダ)でシンクロ優勝・個人4位(7月)、全日本学生トランポリン競技選手権(北海道)でAクラス個人女子・団体とも優勝(8月)、石川県トランポリン選手権(かほく市)でもハイクラス女子優勝と、非常に優秀な成績をおさめていて将来が期待される選手です。

世戸瑶子さんのトランポリン動画:

高画質 (mpg ファイル 1.5MB Windows, MacともOK でも電話接続ではちょっと無理かなー) 中画質 (wmv ファイル 730KB Windowsのみ) 低画質 (wmv ファイル 430KB Windowsのみ)

2004年度石川県トランポリン選手権(9月)で優勝したときの決勝の演技です。どうぞご覧ください!

トランポリンと私

世戸 瑶子

私が本気でトランポリンを始めたのは、小3の頃です。お姉ちゃんについて美川トランポリンクラブの練習に参加していました。中3になって受験でトランポリンをやめようと思っていた時、福井先生に誘われて東高校で練習するようになりました。東高校へ入ったら、優秀な選手が多いので、まわりの選手を見て自分で気づいたことを直していったり、先輩からアドバイスをもらったりするようになり、練習への姿勢も変わりました。高校までは美川から通っていたので、大学に入って寮生活になってからは通学時間が短いので、ずいぶん楽になりました。

トランポリンは、子どもなら誰でも好きなスポーツです。重力に逆らって空中を飛び跳ねる楽しさがあります。競技選手になってからのトランポリンの魅力というのは、また別のものです。一回の演技では10本の技を続けて行うのですが、この10本の技を自分の頭の中でイメージしてつなげていく難しさ、それに打ち勝って演技を作っていく楽しさがあると思います。相手がある競技ではなく、トランポリンは自分自身との闘いです。大きな技をかける勇気を持つ大胆さと、体の隅々の動きにまで神経を尖らす細かな繊細さの両方、その微妙な神経のバランスが要求されるスポーツだと思います。

カナダ・ケローナへの遠征について

今年の7月10日〜22日の12日間、2004インド・パシフィック選手権大会に出場するため、カナダに行ってきました。この試合では、シンクロ優勝、個人4位という成績をおさめることができました。個人優勝したブラジルのミラゾーとはシンクロで接戦だったためか、たいへん仲良しになることができました。シンクロ優勝は、海外で手にする始めての優勝だったので、とても嬉しく、かけがえのない思い出になりました。(試合結果は日本トランポリン協会ホームページ参照 http://www.japan-trampoline.com/ )ペアを組んでいた中川さんも金沢学院大学のトランポリン部に所属しています。優勝と決まったときは、二人で感激し、大喜びしました。

私は、今回で海外遠征は6回目になるのですが、前回のドイツ大会で友達になったケンブリーが今回も試合に来ていて、前回よりさらに交流を深めることができました。最終日のパーティの時に彼女に私の JAPAN ポロシャツをプレゼントすると、彼女はとても喜んでくれて、「でも私は何もあげるものを持ってきていないの」と自分の e-mail アドレスを紙に書き、私に「送ってね」と手渡してくれました。彼女は来年オランダで開催される世界大会にも必ず来ると言っていたので、私もまた出場できるように頑張りたいと思います。

今回の遠征で、やっぱり英語は必要不可欠なもので、私にはまだまだ英語力が足りないので、さらに勉強しなければいけないなと思いました。これからも遠征以外でも海外に行ったり、日本国内にいても英語が必要なときが来ると思います。そのためにも、頑張って勉強を続けたいと思います。

将来への抱負 [...]

樫田昇くん 国際文化学科3年

樫田昇くん 国際文化学科3年

紹介者 新村 知子

大学生活で成し遂げられることは、いろいろあります。本学にも、学業と両立させながらクラブ活動にパワーを注ぎ、自分の限界と可能性に挑戦し、仲間と汗を流し、スポーツを通じて多くのものを学んでいる学生たちがたくさんいます。3年生の樫田昇くんは、金沢学院大学サッカー部のキャプテン。今年度は、石川学生サッカーリーグで何と優勝という快挙を成し遂げました!そこには、プロジェクトXレベルのドラマがあったようです。

学生リーグを終えて

樫田 昇

五月八日、今年度の石川学生サッカーリーグが始まった。昨年度5位だった学院大の前評判は、決して良いものではなく、昨年とさほど変わらないだろうと見られていた。

しかし僕の思いは違っていた。僕らはすでに、去年とは違う「NEW学院サッカー部」となっていたからだ。劇的な急成長。すべては学院サッカー部に新監督がやってきた時から始まった。飯高監督である。

飯高監督は選手時代、高校選手権大会で主将として全国出場、またその後も順天堂大学で主将を務め、国体でも輝かしい結果を残している人である。一流の選手が必ずしも優れた指導者とはかぎらないとよく言われる。しかしごくわずかのアスリートは、選手としての高い能力と同様、指導者としての素質を生まれ持って備えているのも真実だ。飯高監督の指導を初めて受けた時、その合理的な練習メニューと選手一人一人を鼓舞しながらコミュニケーションを図る統率力に、僕は感動した。そして、僕らのチームの可能性がさらに広がるだろうと確信した。

しかし、そう感じたのは僕だけでなかった。飯高監督に指導を受けて以来、わずか2,3ヶ月という短期間で多くのものが変わった。何よりも特筆すべきはチームのモチベーションである。今年の天皇杯予選、総理大臣杯と接戦ながらも早々と負けてしまったという現実を、まずはしっかりと受け止めて反省し、そこから常にポジティブな思考で練習に励むようになっていった。「次の学生リーグでは良い結果を残す。」そう、誰もが胸に秘めていた。

そして、五月九日。学生リーグAグループ初戦の金沢医科大戦の日が来た。上位に行くには勝たなければならない相手。対戦成績から見れば同等ではあるが、前回の対戦では完敗を喫した相手であった。初戦の試合は、ある種独特な緊張感と不安がチームのムードを覆う。ベンチに入った僕らは、雨が降り注ぐグランウンドを眺めた。厳しい戦いになることは確実だ。誰もがそう思っていた。しかし、ピッチに立った僕らは驚いた。体が面白いように動くのだ。仲間の意図を目で、いわゆるアイコンタクトで読み取り、相手の動きの先を読んで、前へ前へとボールが蹴られていった。結果は4−0という大差での勝利だった。学院サッカー部は元々、点が取れるチームではなかった。4点も取ることができたのは、偶然かもしれない。しかし僕は、これが「New学院サッカー部」の成長した姿だと実感した。

初戦を好スタートで切った第二戦目。相手はリーグ最大の山場である金沢大戦だ。金沢大は北信越リーグでも1部のチームで、過去の対戦成績だけでは明らかに学院より良い結果を残しているチームだった。金沢大とは飯高監督が来て間もない頃、練習試合で完膚なきまでにやられていた。しかし、その雪辱を晴らそう、借りを返してやろうという気持が、再び僕らの足を動かした。試合が始まるとやはり相手にペースを奪われ最初は防戦一方だった。だが、徐々に流れは学院大に向いてきた。そして前半15分を過ぎた頃、決定機が来た。学院の攻撃スタイルの1つである右サイドバックからのロングキックを使った攻撃で、見事に先制点を奪ったのだ。決めたのは大黒柱の1人でもある4年生の8番、水野さんだった。欲しかった先制点。それが不動の10番の、右足の一振りから生まれた。勝ちたい。負けたくない。負けた時の悲しい思いだけはしたくないという思いで一心不乱にフィールドを駆け回った。疲労していく体を、気迫で動かし続けた。そして終了を告げるホイッスルの音。両拳を天に突きつけ、歓喜の叫びをあげた。大金星だった。飯高監督が来てからの練習の成果が、一気に現れた試合だった。

連勝で首位に立ちリーグ最終戦、金沢高専戦を迎えた。この試合、エースの4年生をはじめ、主力4人が不在だった。そして格下である金沢高専に負けるはずがないという奢った気持があったせいか、試合が始まると、自分達本来のプレーを出せずにいた。結果は2−0での勝利で終わったが、相手のミスに助けられたと言うべきだろう。

Aグループを1位で突破し、学院サッカー部ができて以来初の優勝決定戦に進むことになった。Bグループの首位は星稜大だった。星稜大は現在、石川県内でトップの強さを誇るといって過言ではないだろう。サッカーで有名な高校出身の選手も多い。対戦成績から見ても、僕ら学院大は練習試合では負け越していた相手である。不利な要素はまだあった。決勝戦の1週間ほど前の合宿と練習試合で、攻撃と守備の要である4年生2人が怪我をしてしまい、決勝戦は出場が絶望的になってしまった。さらに決勝戦の当日、戦術的にも精神的にも絶対的な支えであった、監督を欠くことになった。

そして決勝戦当日、六月六日が訪れた。多くの不安要素から、僕の、そしてチームの試合前の士気は高くなかった。それを反映したのか、空は暗く重く曇っていた。しかしそこへ朗報が届いた。怪我で出場が不可能と思われていた4年生の1人、ストライカーの小谷内さんが、後半から出場できることになったのだ。

午後3時、キックオフのホイッスルが鳴った。緊張していた体が徐々にほぐれ、落ち着いてプレーできるようになった。一進一退の攻防を繰り広げる中、前半15分過ぎ―あの金沢大戦と奇しくも同じ時間帯に―、相手ディフェンダーのぺナルティエリア内での反則から、PKを取ることができた。学院大のPKを得意とする4年生の先輩の背を見つめた。しかし、彼はペナルティ・マークに置かれたボールではなく、僕のところ歩いてきた。「蹴ってくれ。」僕の体は震えた。武者震いだった。相手のキーパーは東海選抜にも選ばれている選手だった。僕はボールをもう一度セットした。ボールの前に立ち、一度、深く呼吸をして、目を閉じた。周りの声が小さくなり、やがて消えた。仲間たちの視線、広いフィールドすべての視線が僕の左足に向けられている。みんなで獲ったチャンスだ。決めなければならない。

ボールを蹴った。それはまるでスローモーションのように、ゴール左隅に吸い込まれていった。僕は大きく人差し指を空に向けた。先制点だ。

流れに乗った学院は更に猛攻を仕掛け、追加点を取って前半を2−0で折り返した。良い形で後半を迎えた僕達だったが、後半が始まってすぐに1点を返されてしまった。やはり油断できない相手だ。1分1秒も気を抜くことは出来ない。みんなに激しく檄を飛ばした。「攻撃は最大の防御」。戦いにおける基本に忠実に、僕らは攻め続けた。両者どちらも引かず攻防を繰り広げ、ついに歓喜の時が訪れた。

優勝。今までの努力が報われた気がした。挨拶終えてピッチから引き上げてくる選手を、ベンチにいたみんなが笑顔で迎えた。マネージャーの喜ぶ姿が、僕にはとても嬉しかった。

監督が来てからの数ヶ月、僕達は本当に強くなった。自分で思っていたよりも大きくなった。ここからならきっと僕達は秋の北信越リーグでも優勝して1部に昇格しもっと上へいけると思う。これからも気合をこめて精一杯練習に励んで行こうと、僕らは誓った。

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村本美央さん 平成7年3月卒業の金沢女子大第5期生

村本美央さん 平成7年3月卒業の金沢女子大第5期生

紹介者 木梨 由利

学生時代、「文学少女」という呼び名がぴったりだった村本さん。卒業論文(「ジェーン・オースティンと結婚」)は、400字詰め原稿用紙に換算すれば、150枚は超えるという力作でした。執筆のために、6編の長編小説、書簡集や伝記数冊を原書で読破するなど、読書が楽しくて楽しくて、就職活動は二の次、という風に見受けられましたが、その後司書の資格を取得され、今は小学校の図書館にお勤めです。毎日忙しく活動されている村本さんに、資格の取り方、お仕事の内容などについて書いていただきました。

司書として多忙な日々

村本 美央

「先生(私は教員ではないのですが、学校に勤務しているとこう呼ばれるのです)!みんな図書館の前で待ってるよ。」朝の開館を待つ子どもたちが、図書館の入り口に見えます。今日も一日が始まるぞ!と自分に気合を入れて図書館に入ります。

大学を卒業後、岩手県の大学で司書講習を修了し、司書の資格を取得しました。なぜ岩手県?と思われるかもしれませんが、願書提出に間に合ったのが岩手県と沖縄県の大学しかなかったのです。暑さに弱い私は、岩手県を選んだと言う訳です。この時親しくなった人の中には、福岡や長崎から来ている人もいました。この他にも司書講習を行っている大学はあるので、興味のある人は調べて見てください。7月から9月の2ヶ月間、司書資格に必要な科目をみっちり受講しました。どれ一つとして単位を落とす訳にはいかないので、午後の授業が終わるとへとへとでした。私のように大学を卒業後、司書になりたいと思い立ち受講しにきた人や、異動で公共図書館勤務になったため司書資格を取りに来た人(公務員にはよくあることのようです。)様々な人と出会うことができました。

今年、松任市の学校図書館司書として採用され7年目を迎えました。昨年度は初めての異動も経験しました。学校図書館では、司書は一人配置なので、新刊書の発注から受け入れ、お便りの作成、貸出・返却業務、予約やリクエストの受付・処理、調べ学習の資料準備などなど毎日次から次へと舞い込んでくる仕事を一人でこなさなければなりません。6月には、本により親しんでもらうため、学校行事として読書週間をもうけ、児童会委員会を中心に図書クイズや絵本の読み聞かせなどいろいろな取り組みを行うので、今はその準備に追われています。家に帰ると、今日はこれだけは読むぞと持って帰った本(図書館に入れる児童書です。子どもたちは必ず「この本面白い?どんな話?」と訊いてきます。なので、図書館に入れる本には目を通すようにしています。最近、自分の好きなミステリーなどは読んでいないような…。)を数冊読む日々。日々の仕事に追われているだけではだめだと思い、心理学を通信教育で再度勉強したりしています。図書館には、本を読むためにやってくる子ばかりではありません。自分の居場所を求め、話しを聞いて欲しくてやってくる子も多いので、そんな子どもたちが安心して居られる場所でありたいと思っています。(テキストや本を持ったまま眠っていたりということもよくあります。)そんな目まぐるしい日々ですが、子どもたちの「この本、面白かった!」「○○についてわかったよ!」などの言葉と笑顔に支えられ、明日もがんばろうと思えるのかもしれません。

今の「司書」としての道を選ぶまでには、いろいろ悩み、道草をしたりもしました。それも良い経験だったと思います。というのは、大学卒業後、しばらくしてアルバイトを始めました。アルバイト先は保育園です。そこで一緒に走り回っていてちびっこたちは今、小学6年生です。司書として配置された小学校で再会したときには、驚きましたが、彼らの成長を身近で感じることができうれしかったです。近頃よく思います。人との出会いは本当に大切であると。自分が何になりたいのか、どんな仕事が向いているのか悩んでいる人、じっくり考えてください。道草や遠回りもなかなか楽しいですよ。いろいろな経験・出会いは、きっとあなたの心をより豊かにし、これからのあなたの財産になります。