山岡佳代さん 平成9年3月卒業の金沢女子大第7期生

山岡佳代さん 平成9年3月卒業の金沢女子大第7期生

紹介者 小原 金平

山岡さんは現在OLとして財団法人石川県産業創出支援機構プロジェクト推進部研究交流課に勤務しています。大学生の時はバスケット同好会の中心メンバーでしたが、スポーツ好きの明るい性格で、とてもさわやかな卒業生です。大学生活の楽しさ、社会人としてのアドバイスなどを語ってくれました。

山岡 佳代

入学した時はまだ女子大時代だったので、クラス全員が女子という初めての状況にとても新鮮な気持ちがした事を覚えています。あの感覚がまだ残っているのに、あれからもう10年以上。何も変わらないつもりでいるのですが、学生のみなさんより少しだけ経験を積んできました。今回は、大学での勉強の事と社会人になる事について、私の経験から感じた事をご紹介します。

当時の英米文学科を選んだ理由は、留学できたらかっこいいなと思ったからです。特に英語が得意なわけでもなかったので、英語漬けの日々は苦痛でした。テスト前に急に焦り出し、レポートもギリギリに提出する、クラスで必ずいるタイプの学生だったと思います。全てこの調子で過ごしていたある時、とても興味深い講義に出会いました。それは、英米文学科の講義にもかかわらずとにかく日本語を考えるものでした。英語を理解するには、正しい日本語の理解が必要。じゃあ日本語ってどんなコトバ?から始まり、次第にハマっていきました。流行りの若者コトバや方言、漢字の成り立ちや慣用句も、調べれば調べるほど面白い。初めて勉強することが面白いと思ったのが、この時です。

面白いのは日本語を考えている時だけで、他の授業は相変わらず苦痛でした。でも、大学の勉強ってこれでいいのではないでしょうか。4年の間で自分の興味あるテーマが1つでも見つかれば、それが成果だと思います。私の場合「日本語を考える」というテーマは、大学を卒業してからもずっと自分の中にあります。きっと、一生のテーマとなるでしょう。

現在私は産業創出支援機構という県の財団の中で、大学の先生や企業の研究者(大雑把に言ってサイエンスの世界)の方が研究をする際の事務的な支援や、最新技術習得や産学官連携のためのセミナーの実施などを扱う部署にいます。というと非常に難しく聞こえますが、実際に私がしている仕事は、伝票の整理や調べ物など、主に部署のスタッフを支援するためのものです。毎日パソコンに向かっているのですが、最近は、例えば計算がピタリと合った時、書類がとてもキレイに出来た時など、小さな事に喜びを感じる毎日です。

学生の頃は仕事をしている自分が全く想像できなかったのに、これが現実。就職活動の時期にやりたい仕事が見つけられず焦っていた私でしたが、今は普通にOLしています。今就職を前に、もし私と同じように焦っている方がいたら、今全てを決めなくても大丈夫。何とかなります。軌道修正はいつでもできるので、とりあえず社会に飛び込んでみるのも一つの方法だと思います。そして、私もそうでしたが、社会人になること自体に不安を感じる方へ。学生時代がパラダイスだとしたら、社会人生活はディズニーランドです。自由な時間が減りぐっと現実的になりますが、意外と楽しい事もたくさんありますので、お楽しみに。

学生紹介・卒業生報告 2004-04

新潟大学の「言語治療室」に勤務 (歯学博士) 寺尾恵美子さん 平成7年3月卒業の金沢女子大第5期生

紹介者 川畑 松晴

現在新潟大学・医歯学総合病院口腔外科の「言語治療室」に勤務している。1年間技能補佐員として働いたあと、昨年助手として採用され、この4月で2年目となる。仕事は主に、先天性の口蓋裂児が手術を受けたあと、日本語の発音を正常に発達させるための治療と指導である。

本学の前身である金沢女子大学を卒業したあと、上越教育大学大学院に進み、修了後は三条市役所の「幼児ことばの教室」指導員を経て、現職に就いた寺尾さんに大学時代の思い出、卒業後の研究そして現在のお仕事について書いていただきました。

寺尾 恵美子

こんにちは。

平成7年度に(当時)金沢女子大学文学部英米文学科を卒業した当時、自分が10年後にこの仕事をしているとは思いもしませんでした。

10年前、私は大学生で、ひたすら酒を飲んでました。2年生まで末町に住んでいたので、片町香林坊が遠かったー!!3年生から小立野に引っ越し、私の薔薇色生活が始まりました。そして4年生の時、もう絶対二度とするもんか、と思ったことを体験しました。卒論です。このとき「私は日本語に不自由な人である」ことを痛感しました。これ、大変でした。自分の馬鹿さ加減が身にしみること請け合いです。

その後、上越教育大学大学院で障害児教育を専攻しました。同級生は現職の教員を含め20人くらいいましたが、そのときは英文科を卒業して障害児教育に来た人はおらず、また障害児に関わったことのない人もいなかったように思います。みんな接し方にすごく慣れていて、私一人どうしていいかわからずにひたすらまごついていたのをよく覚えています。修士論文は自閉症のこどもが対象でした。応用行動分析を勉強し、(これ言うとちゃんとやっている人に石なげられますが)これが現在の私の臨床の基礎になっています。

修了後、三条市市役所の幼児ことばの教室に臨時指導員として2年間勤務しました。この間実は、某大学の通信教育で小学校教師の資格を取ろうと思っていたのですが、挫折しました。一番大きな原因は、おもしろくなかったからです。こどもみたいな理由ですが。私は性格がオタクなので、ものごとを広く浅く扱うことがすごく苦手なんですね。やろうとしてもできない。ところが小学校教師の課程というのはそれこそが追求されるのです(解釈が間違ってたら済みません。所詮達成できなかった人間の繰り言です)。無理。

そして2年後、今度は(当時)新潟大学歯学部付属病院、言語治療室に技能補佐として勤務しました。その翌年、助手として採用され、同時に新潟大学大学院歯学研究科に社会人大学院生として入学し、今春、学位を取得できました。ですので、学士は英米文学、修士は障害児教育、博士は歯学という何ともとりとめのない学歴となってしまいました。ついでに言うと、大学で英語教諭の免許、大学院で養護教諭(養護学校の先生)の専修免許、また就職後、博士課程の勉強と平行して言語聴覚士の免許を取り、これ見ると私すっかりコレクターですが、今、実際つかっている(?)のは言語聴覚士のみです。 現在、私は0歳〜80歳、いえ需要があれば90歳でも何歳でも、を対象に、発音を治す仕事をしています。一番多いのは幼児です。

正常な発音と異常な発音の違いをみつけ、どうして異常な発音になっているのか、また正常な発音にするにはどうしたらいいのか、を考えて実践するのです。口腔外科所属なので、口の中に先天的・後天的に疾患をもつ人たちが多いのですが、そうでない人も少なくありません。吃音の方もいらっしゃいます。 発音の間違いや、発音にコンプレックスを持つ人たちは、speechそのものへの意欲が低下することがあります。ここらへん、英語ができない人が英語圏に行ったときのことを考えると想像がつくと思いますが、それが発音を治すとそれだけで、大きい声で元気よく話すようになったり、会話量が増えたりするのです。その変化が目の前で起こるのです。

もうホントにいっぱいいっぱいで、毎日どうしよう、どうしたらいいんだろうと思うことだらけですが、そこはオタクだけに、深く狭く考えるのは大好きなので、周囲の人たちの協力を得て、というかその人たちのおかげで、何とか続けています。・・・ときどきオタクってMAZOに近いんじゃないかと思う今日この頃。 自分がオタクだと自覚するあなた、あなたは専門職に向いています。引きこもってないで外に出て、とりあえず何かを始めてみましょう。周りの人はあなたが思ってるより多分優しいです。多分ね。そして私はオタクと違うから、というあなた、あなたはオールマイティに仕事をこなせるでしょう。事務でも営業でも教師でも、ガンガンやっちゃってください。

とりあえず、自分の10年後の予想は誰にもできないし、できたとしてもそれはハズレです。現実の方がナンボかおもしろいから、絶対。

と、先輩風をゴーゴーと吹かせたところで終わりにしたいと思います。

ありがとうございました。

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