もう食べられません?

中崎 崇志

よく『甘いものは別腹』と言います。もうお腹いっぱい食べた、と思っても、ついついデザートに手が伸びる。伸びるだけではなくて、デザートもいっぱい食べてしまったりしますね。 しかし、ウシならともかく、ヒトの胃は一つです。当然『別腹』とは言っても、入っていく先は同じ場所。なぜ、満腹なのに甘いものは食べられるのでしょうか。

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赤ちゃんはなぜ「かわいらしい」のか?

前川 浩子

ポルトマン(Portmann, 1951)が「人間は生理的早産の状態で出生してくる」と述べたように、確かに人間の新生児というのは身体的、生理的にはとても未熟な状態で生まれてくることはよく知られています。例えば、馬の赤ちゃんというのは生まれたその日のうちにはもう立って歩くことができますが、人間の赤ちゃんはおよそ生後9ヶ月頃にようやくつかまり立ちをし、ひとりで歩けるようになるのはおよそ1歳3ヶ月頃です。このようなことが理由のひとつとなって、長らく「赤ちゃんというのは何もできない無能な存在」だと思われてきました。昔の育児書には、「赤ちゃんはお目目も見えません、お耳も聞こえません」と書いてあったといいます。

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自分はどんな人だと思う?

木場 深志

人は誰でも、「自分はこういう人間だ」という自分についてのイメージを持っています。自分はあわて者だ、とか、人付き合いはいいほうだ、とか、目立ちたがり屋だ、とか、自分の性格や能力、容姿、好み、態度など、自分に関するいろいろな面を含んだ自分についてのイメージです。そのすべてについてコトバではっきり述べることはできないにしても、誰でもが持っているものです。この自分イメージのことを、「自己概念」といいます。

我々は、この自己概念を持って生まれてくるわけではありません。生まれた後で、徐々に形成され、また変化してゆくものなのです。自己概念の形成には「自分にとって重要な意味を持つ他人(significant othersといいます)」が大きな影響を持っています。重要な意味を持つ他人とは、小さい頃には母親や父親、その他の家族、もう少し大きくなってからは、先生や友人などかも知れません。同僚や配偶者であるかも知れません。 自己概念は、このような「重要な意味を持つ他人」が、自分に対してどのように反応してくれたかによって決まってきます。幼い頃から、何かするたびに、「ダメねえ」と言われて育てば、その人は「どうも自分はダメ人間らしい」と思うようになるでしょう。ほめられ、愛されて育てば「自分には価値がある」と思うようになるでしょう。

作り替えられていく記憶

中崎 崇志

私たちの記憶は、日々蓄えられていきます。今日観たテレビドラマの場面、新しく学んだ英語表現、誰かとの約束など、その内容は多岐にわたり、枚挙にいとまがありません。 これらの内容のうち、長期間保存される情報は『長期記憶 long term memory』と呼ばれる貯蔵庫に蓄えられると考えられています。長期記憶には、個人的経験や出来事を蓄えた『エピソード記憶』、知識の源泉である『意味記憶』、運動技能や対象物操作の記憶である『手続き記憶』の3つがあります。エピソード記憶と意味記憶をまとめて『宣言的記憶』と言います。 けれども、人間は『忘れる』動物です。忘却は、蓄えた情報を取り出せなくなる状態。ならば、取り出せればすべてOKかと言うと、実はそうではありません。例えば、友人と一緒に経験した出来事が、互いの記憶の中で食い違っている、という経験をしたことはないでしょうか。同じエピソードの記憶がなぜ違ってしまうのでしょう?

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