馴染むということ

前田 晃

 私は日本文学科の学生であり、国際文化学科である他の学生たちと比べると英語の能力が低い。一週間あたりの英語講習の時間数は国際科の学生の四分の一以下である。…というのは言い訳にはならないのだが、ともかく日本で生活していて英語に触れる機会がほとんど無かった。故に英語も中高で習ったいい加減な文法とわずかな語彙で乗り切るより他無く、かなりの苦戦を強いられることが予想されていた。

 それでもなんとか乗り切ることができたのは、どうせ聞き取れないのだから受身になっていてもしょうがないと開き直る姿勢であったように思う。ともかくこちらから分かる語彙で、複雑な表現を聞かされるような質問をしないことを心がけた。はっきり言ってしまえば、イエスかノー、あっちかこっちかという答え方しかさせないような強引なやり方での会話である。これが幸を奏したか、行き違いによりトラブルなどは、あまり起きなかった。

 欧米の文化には「察する」というコミュニケーションが存在せず、お互いに意思表示を求め合うようなコミュニケーションが多い。そうであるから、言葉での意思表示が無ければ何も望んでないのだとみなされるような場面が幾つかあった。私にはそんなことは無かったのだが、私より語彙も文法知識も達者な筈の国際科の学生であっても、積極性の無い、相手に「察する」ことを委ねるような学生は、不本意な行き違いを多く起こしていた。

 どれだけ英語の知識が蓄えられようと、同時に意思表示を重んじる欧米文化を知らなければ、到底それは使えるものにはなるまい。同様に、日本語を勉強した欧米人でも、日本流の「察する」コミュニケーションができなければ日本での生活では行き違いが起きうるだろう。面倒なことだが、実際に現地で使える外国語を勉強するなら、その国の言葉と同時に文化も知らなければなならない場合があるようだ。特に日本語圏と英語圏のように、気質の異なるところでは。こればかりは習えるものではない。

 そういった意味では、多少の費用がかかったとしても、現地に留学して勉強するというのは非常に良い学習法だと言える。嫌でも現地の文化を受容しなければ充実した生活を送れまいからだ。英語は習うより慣れろという簡単な言い方があるが、その根本には、異文化に対する順応を強いるという難題が潜んでいる。

 こんなことは語学学習者のための参考書などを紐解いてみれば、似たようなことが沢山書かれているであろう。習うより慣れろと。留学しろと。それでも実地でそれを体験できたということを貴重な体験としてここに記録しておきたい。

 最後に。滞在中、酒を飲む機会があった際に感じた事が一つある。酒を飲んでいるときの方が、言いたいことがスラスラ相手に伝わるのだ。日本人には完璧主義気質が多く、私もその一人である。それが酒に酔ったことによる緊張の弛緩により、「文法は気にしなくていいから、言いたいことが伝わればいいや」という風に無意識に開き直ることができたため可能になったことであろう。リラックスした状態で考え、話すということも、外国語習得のための重要なポイントなのではないだろうか。

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