エーリヒ・ケストナーの世界 ―たくさんのユーモアとほんの少しの切なさと―

水井 雅子

「わたしが子どもだったころ」(エーリヒ・ケストナー)表紙 エーリヒ・ケストナーをご存知ですか? 19世紀の最後に生まれて、75年の生涯の殆どを20世紀に生きたドイツの作家です。ということは、第一次世界大戦も第二次世界大戦も経験したってことですよね。一つは十代のときに、次の戦争はもう中年になってから。時代は人生に大きな影響を与えるものですが、彼の子どもの本に直接、戦争の影を感じることはありません。でも、そのために本当に大変な人生を送った人です。
 この人の作品を私は子どものときから好きでしたし、今でも時々本棚から引っ張り出して読むのですが、そうするとその面白さにはまり、結局次々と、ケストナー全集を時間がある限り読んでしまいます。子どものときにも大人になってからも、読む人を引き付けずにはおかない作品って、すごいと思いませんか?
 世代を超えて愛される条件って何だろう?一つには、読む相手が子どもだからという理由で時には辛い現実を隠す、などということをケストナーがしなかったからでしょうね。彼の作品は、登場人物も物語の成り行きも朗らかでスリリングで、ユーモアがいっぱい詰まっていますが、でもただ単純に明るい、というのではないのですね。その明るさの向こうに時に悲哀が見え隠れしています。しかし決して悲壮でもなければ哀れっぽくもない。辛い現実を踏まえた上で、それを承知しながらも、臆することなく前向きに生きていく主人公たちが本当に魅力的です。

 彼は元来、詩人として出発し、鋭い辛口の批評家としても名前を挙げた人ですが、きびきびとした文体でユーモアを込めて書かれた子ども向け作品が高く評価されています。

 これらの他にも『五月三十五日』という面白い物語もありますし、子ども向けの創作のほかに「再話」もしていて、これがまた抜群に面白いのですね。再話では「ほらふき男爵」「ドン・キホーテ」「シルダの町の人々」「オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」「ガリバー旅行記」「長靴をはいた猫」が『ケストナーのほら吹き男爵』(筑摩書房)の中に収録されています。ケストナーが再話すると、底抜けの明るさも、辛らつさも、教訓性の無さも含めて、元の話よりもずっと洒落ているのは、どうしてでしょうね?

岩波少年文庫収録のケストナー作品

 子どもの頃は『点子ちゃんとアントン』や『エーミールと探偵たち』や『二人のロッテ』などが特に好きでしたが、思わず笑ってしまうほど面白いながらも、つい涙してしまう『私が子どもだった頃』が何と言っても秀逸でしょう。これは、彼が自分の子供時代を思い出して書いているのですが、本当に記憶力の良い人で、細かいところまでよく覚えており、ケストナーの生き生きとした子ども時代が彷彿とされます。彼の作品には、自分の子ども時代の様々な経験や思い出が投影されていることが良く分かります。
 それだけではなく、ケストナーはドイツの美しい古都ドレスデンで子ども時代を過ごしたので、第二次世界大戦の終戦間際に連合軍に爆撃されて、壊滅的な被害を受けたドレスデンの当時の様子も偲ばれるし、自分の家系についての年号入りの記録も可笑しい。実に観察が鋭く、ちょっと皮肉にしかも暖かい文章で描かれた親戚一族の姿は、「本当なの?」とふきだしそうになりつつ、本当にも思われる可笑しさです。ユーモアというのは客観性があって初めて成り立ち、客観性は知性に支えられているのだなあと、ケストナーの文を読んでいるとつくづく思います。だから大人になっても読み応えがあるわけなんですね。
 ケストナーの本の挿絵は、レムケという挿絵画家とトリヤーという挿絵画家の絵に二分されるようですが、対照的な画風でありながら、両方ともにケストナーの作品とよく合った素晴らしい挿絵で、そこも飽きない理由の一つでしょうか。

 児童文学としては古典になってしまった感のあるケストナーですが、古臭い感じは全くありません。是非、秋の夜長に、ケストナーの本で笑ったり涙したりしてみてください。

★ちなみに大人向けの本も和訳されて文庫で出ています。私が把握しているのは『消えうせた密画』と『雪の中の三人男』という推理小説、そして『ケストナーの終戦日記』の3冊だけですけどね。他にもあるようですが、私が読んだのはこの3冊だけです。
 『ケストナーの終戦日記』も実に興味深い本です。いろいろなことが分かります。何しろ彼は、反ファシズムの急先鋒でもあったので、ナチス政権から本の発禁処分どころか焚書される憂き目に会い、一時はドイツを逃れてスイスにいたのですから。しかもスイスで本を出版しています。焚書される現場を見に行ったという武勇伝もあります。そう、彼は一筋縄では行かない人なのですよ。

「サーカスの小びと」「どうぶつ会議」

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