発展途上国と英語

川畑 松晴

 発展途上国といわれる国々では、英語力とIT技能の価値が日本よりも格段に高いように思われる。少なくとも、私が近年訪ねているベトナムやカンボジアではそうである。いわゆるDigital Divide「情報の格差」に加えて、English Divideが生じている。コンピューターによる情報の授受ができるか否かによって経済的社会的格差が生じる現象が近年指摘されるようになったが、もっと古くから存在する「言語使用による格差」Language Divideの指摘があまり聞こえてこないのはむしろ不思議である。

 東南アジアでは、英語が「貧困から脱出する強力な手段」の一つである。ベンチャービジネスのような企業においても英語は不可欠であろうが、私が見聞しているのは貧しい庶民レベルである。彼らはそれぞれ自分の特技や能力を活かして生きていこうとしている。この点は世界共通であり、本学の学生諸君も同様であろうが、英語力が収入に直結しているベトナムやカンボジアの都市部では、英語に賭ける若者の学習動機は切実である。向上意欲の高い子は1クラス50人のクラスでも必死に学ぶ。生のコミュニケーション能力が日々の仕事の中で試され、収入に反映される子もいる。外国人との会話を楽しむ、外国の文化を感じる、試験で良い点をとる等とは全く異なる英語学習の世界がすぐ身近に存在している。環境が異なるので我々にはすぐ真似をすることはできないが、「喉が渇けば水を飲む」のが我々の性である。「学習対象への‘’渇望‘がすべてである」は言いすぎであろうか。


私の出会った英語学習者たち

ホーチミン市(ベトナム)

シェムレアップ市(カンボジア)



ホーチミン市(ベトナム) 
みやげ物売りの少年A君 10才くらい

 2004年の2月サイゴン大教会の前でたまたま出会った。ここを根城としているらしい。よく通る声で呼びかけ、絵葉書やガイドブック、古切手集等を買わせようとする。Cheep, Cheep! Ten piece, one dollar! ここまではどの売り子も言うが、あどけない顔のこの少年はMy mother is sick. I can go to school if you buy this. Please help me. I’m poor.とよどみなく英語で続ける。暗記していっているという感じではない。発音もなかなか良い。10歳くらい。聞いてみると、午前中に学校へ言っているという。この国は午前クラスと午後クラスに分かれており、その時は午後3時くらいだった。絵葉書は日本の家族に送ろうと思っていたのでこの子から買う。するとさらに、ガイドブックも売りつけようとする。彼らは本当に商魂がたくましい。他の売り子も寄ってくるが、彼らの英語はまだまだだ。きっと、英語の上手な少年Aは売り上げが格段に多いだろう。英語学習への動機が高まるはずである。
 英語学習(推測): 誰かに少し手ほどきを受けて、あとはここで観光客を相手に覚えてきたのであろう。頭の回転が速そうで、英語の発音もかなりよく、将来有望な少年とみた。

  一覧に戻る


シクロの運転手B君 20才代の前半

 統一会堂(旧南ベトナム大統領官邸)を根城にしているシクロ(自転車タクシー)の運転手。日本語も少しできる、韓国系ベトナム人。バスで3時間くらい離れた田舎に韓国人の母が一人暮らしでいるそうだ。ここへ出稼ぎに来ている。なかなか英語が上手だ。田舎の中学校で一応英語を習い、高校も途中まで出たが、母が病気(父はベトナム戦争後に不発弾に触れて死亡)になったため中退し、働き始めた。観光客を乗せて市内を案内するこの仕事の傍ら、大学の聴講生となったり、英語学校や日本語学校にも通ったりして来たと言う。どうりで英語は語彙も豊かで、この市内の日本人の事情にも詳しい。でも今は観光客の減少で収入が減り、大学へは1年間ほど通っていない。車を買い、タクシーの運転手になるのが夢だという。彼の英語は基礎ができているので、後は仕事の中で客とのやり取りの中で上達していくだろう。夢が実現することを願うが、私にできることは大目のチップを上げることくらいだった。次回の訪問でもっと時間のあるときにゆっくりと話したいものだ。その時はお昼でも一緒に食べて、さらに大目のチップを弾もうかな。

  一覧に戻る


定宿ホテル・アンアンのフロント係りの男性C氏 40才代

 元中学校の理科教師だったが、英語を勉強してこのホテルで働くようになったという。少しナマリのある英語だが、よどみなく話す。人当たりがよく、コンピューターにも詳しい。日本や欧米からのバックパッカーが多いファングーラー地区にあり、一泊20ドルのここはいつも繁盛している。しかし、部屋が10室くらいの小規模のホテルだから給料はそんなに高くないと思われる。それでも教師の待遇よりは良いそうだ。彼の転職は10年くらい前だから、以前はよけいに差があったのかもしれない。フロント係りは全部で4名らしく交替で常時2名が勤務しているが、英語の達者な人が常に一人はいる。英語はベトナムの観光業の必須要件である。
 英語学習法: 約1年間オーストラリア人教師の英語学校に通って勉強し、後は独学でホテルの仕事をしながら学んだという。今はとくに英語の勉強はしていない。一応今の仕事の上では今の英語力で問題がなく、また仕事で使うことが勉強になっているそうだ。納得。

  一覧に戻る


シェムレアップ市(カンボジア)
勝手にガイドを買って出て、金をせびるしたたかな少年D 8才くらい

 東南アジア最大の湖であるトンレサップ湖のシェムレアップ市側の船着場を見下ろす山、プノム・クロムへ出かけた時のこと。ここはアンコールワットとその豪華さにおいて比較とはならないが、10世紀前後の仏教寺院の遺跡があり、一面が平坦なカンボジアでは珍しく小高い丘(約200?)となっているので湖や周囲の眺望も良く私の好む場所である。頂上へは近年新しく修復された石段を登るが、ここに時々子どもガイドが出没する。市の中心部の反対方向にあるアンコール寺院群と違い、ここには専門のガイドはいない。普通は、ただ、近くに住む子どもたちが、ただ物乞い風にまつわり付いてくるだけなのだが(そんな時は適当にあしらい相手にしないことにしている、安易に金を手に入れるのは悪習となると懸念するからだ。)、ある時10才くらいの男の子が英語で話しかけてくる。ガイドというよりは、身の上話をするのである: 母が病気である。働くことができない。父は病気で亡くなった。ここについているのが弟と妹である(ほんとうかどうか怪しい)。自分は学校へ行っているが、弟は来年入学する。雨季になると眼下は一面の水で覆われる。そうするとプノンペンやバッタンバンからの遊覧船の船着場がすぐ近くに移動する、等など。発音も文法もひどいがそれでもなんとか通じる。話に応じてやると、なお元気に話しかける。こちらに負けぬ早足で付いて階段を上る。弟、妹は幼く英語はまったく話さないが遅れないように小走りでやはり付いてくる。「兄」の魂胆は分かっているが、必死になって、英語で話しかける態度が健気だ。急な坂道を頂上まで付き合わせるのも酷だと思い、途中で1ドルだけやり、”I’ll come back here soon. You’ll have another dollar when I see you here again. OK?” と言って付くのをやめさせた。本当はやらない方が良いのかもしれないし、半ドルでも良かったのかもしれないが、彼の英語力と必死さに負けた。帰りに分かれたところで待っていて、下まで付いてきた。歩きながら、絵葉書やTシャツなどを売ったらどうかと商売の仕方をアドバイスするが、資金がないという。やはり、大人の元締めがいないとあのような仕事はできないのであろう。もう1ドル気持ちよく上げた。英語は金になる?将来は英語ガイドになりたいという。なんとかうまく育ってもらいたいものだ。
 英語学習法: 少し、カンボジア人の青年に習って、あとはすべてここで観光客と話しながら学んだらしい。すごいものだと関心する。しかし文法と発音をもう少しきちんと習わないと専門のガイドになるのは無理であろう。

  一覧に戻る


長距離バスの車掌/ガイドの青年 20才代の半ば

 今年の3月、初めてシェムレアップから首都のプノンペンに移動するのにバスを使った。約4時間の旅。若いカンボジア人の青年車掌がガイドも務め、途中の名所の説明や歴史を語る。最初はクメール語で次に英語で。クメール語の時はお客さんが時々笑い声を立てている。若いのにユーモアのセンスもあるようだ。彼の英語は東南アジアでよく聞かれるように単語の語尾が聞き取りにくいが、あとは何とか大丈夫である。ユーモアは入れているのかいないのか、聞き取れない。
 最前列に座っていたので、時々彼と話をすることができた: 田舎の出身で、このバス会社は親戚筋の人が経営している。今は車掌をしているが、できるだけ早く英語の観光ガイドになりたい(シェムレアップでは観光ガイドはふつう1日20?。公務員の月収は30〜40ドル)。そのため、プノンペンで仕事が終わる日はいつも英語学校で1時間勉強している。今日もバスが夕方の5時に着いた後、6時〜7時まで勉強するという。「観光ガイドの次は?」と尋ねると、大きなホテルの支配人になりたいという。カンボジアのやる気のある青年は生き生きとしている。将来への希望が明確だからからだろうか。この青年なら着実に階段を上れそうな気がした。彼が見せてくれたこの国では珍しい英語雑誌(隔月出版)を譲ってもらい、チップの意味も込めて定価の倍(といっても計2ドルだが)を支払った。

  一覧に戻る


ASAの青年たち 20才代

 Cambodian Association for SAving the Poor「貧しい人たちを助けるカンボジア人の会」のことは以前に書いたと思うが、石川県ユネスコ協会と協力関係にあるシェムレアップのNGOで、地元の少年少女や若者のために安い授業料でコンピューター、英語、日本語などの教室を開き、また、仕事や生活の悩みの相談を受け付けその解決を支援している団体である。しかし、資金源が特にあるわけではなく、この会の専任スタッフ5〜6名はそれぞれ、自分の能力や技能を土台として、つまり自分が教師となり組織者となってこの会を運営している。

  一覧に戻る


Amnith(25才男性)の場合

 現会長のAmnithは英語教師でもある。New Headwayという英国のテキストを使い、ここの上級コースを教えている。2年前は彼はここの創始者であるMony氏の生徒で彼から英語を鍛えられた。組織のマネジメントの手ほどきも受け、労働組合の全国の委員長として忙しくなったMony氏からASA代表を引き継いだ。まだ、25才である。ASAの仕事の傍ら、この1月から地元の大学で経済学を学んでいる。授業は英語で行われているそうだ。高校しか出ていない彼には大学で学ぶことは大きな夢であったという。経済学を学び、国際的な支援も将来は得ながらASAを発展させてもらいたいものだ。

  一覧に戻る


Mitch(24才男性)の場合

 昨年の10月頃からASAに加わった。ここでの仕事は英語教師。Amnithと同様、中級や上級クラスを担当している。将来はこのASAで、地域医療や衛生指導の仕事をしたいという。利発で落ち着きのある好青年である。やはり田舎の出身で単身このシェムレアップに出てきて高校を卒業した。その後、昨年まで別の市の医療機関で医者の助手のような仕事をしていたそうだ。彼も、この1月からAmnithと同じ大学で学んでいる。彼の専攻は情報工学。この授業も英語で行われている。大学に通えるというのが、ASAに加わった条件らしい。
 前途有為なこれらの青年が、英語力を元にさらに上を目指して人生の階段を上り、自分だけではなく家族や地域の人々全体の生活の向上に貢献する日のことを願っている。

  一覧に戻る


 この国では、大学や高等教育機関で先端の学問を学ぶためにも英語が必修なのだ。自力の経済復興がかなり実現しているベトナムについてもまだそれは言えそうである。この点で英語の役割はわが国などよりずっと大きいのではなかろうか。

Comments are closed.