英語を学べば淑女になれる? ―『マイ・フェア・レディ』と『ピグマリオン』 ―

木梨 由利

 『マイ・フェア・レディ』(My Fair Lady)というミュージカルをご存知ですか?ニューヨークでの初演は1956年ですが、ジョージ・キューカー監督のもと、オードリー・ヘプバーンとレックス・ハリスンが主演した同タイトルの映画(1964)は、作品賞、監督賞、主演男優賞などアカデミー賞8部門を受賞して、現在も多くの映画ファンに愛されています。「踊り明かそう」 (“I Could Have Danced All Night”)などのナンバーを聞けば、「ああ、あれか」と思い当たる人も少なくないのではないでしょうか。

 オードリー・ヘプバーンが演じるのは、ロンドンの貧しい花売り娘イライザです。ある夜、劇場から出て来た人々に花を売りつけようとしていた時に、言語学者で発音矯正もするヒギンズ教授(レックス・ハリスン)に、彼女の乱暴なコクニー訛りは英語に対する冒涜だと非難されます。
 「言葉が階級を隔てている」、「言語を矯正すればもっとよい仕事にもつける」という教授の言葉はイライザの心に残り、彼女は、ヒギンズ教授の指導を受けるべく、翌朝彼の住居を訪ねます。そこには、インドの方言の研究家で、昨夜の二人の出会いの時にも偶々居合わせたピカリング大佐が、客として滞在中です。「半年あれば社交界にも出られるような淑女にしてみせる」というヒギンズ教授の言葉を大言壮語と考えていた大佐は、二人のやりとりを聞いているうちに気持が変わり、もし本当に彼女を淑女にできればその間にかかる費用の一切と授業料を自分が払うという条件の賭けを提案します。

 かくしてその日から、大使館の舞踏会の日をめざして、イライザや教授はもちろん、大佐や使用人もへとへとになるような猛特訓が始まります。リハーサルにと、イライザが上流階級の社交の場であるアスコット競馬に連れて行かれた時には、健康と天気のことしか話さない予定だった彼女が、「殺された(やられた)」おばの話を「自前」の言葉で話し出して、無残な結果に終りますが、6週間後の大使館の舞踏会では、ハンガリーの王女と見まがわれるなど、見事な成功を収めます。
 けれども、その夜、イライザの努力をねぎらうでもなく「実験」の成功に大満足のヒギンズ教授と彼を祝福するピカリング大佐の傍らで、イライザの心は沈むばかりです。彼女は、自分が所詮教授に作られた「人形」でしかなかったこと、「実験」が終った今、自分の居場所はもはやここにはないことを痛感せずにはいられません。そして翌朝、密かに家を出るのです……。この後、ヒギンズ教授がどのような行動に出るかはご自分でみつけていただくことにしましょうか。

 このミュージカルの原作はジョージ・バーナード・ショー(George Bernard Shaw, (1856-1950)の『ピグマリオン』(Pygmalion 1913年初演)という喜劇です。「ピグマリオン」というのは、自作の女人像ガラティアに恋をして、女神アフロディーテによってめでたく命を得た彼女と結婚する、ギリシャ神話に登場するキプロスの王の名前です。

 ショーは、50余編の戯曲を執筆し、近代演劇を確立したと評価されている一方で、社会のさまざまな問題に鋭い批判の目を向けた社会運動家でもありました。『ピグマリオン』においても、軽妙な会話の形をとりながら、言語や教育と、階級間の壁や経済格差の関係がいみじくも指摘されています。そして、イライザがヒギンズ教授の家を出るという設定は、女性の経済的・精神的自立の問題と大きく関わっているのです。実は、全体として原作をかなり忠実に辿ってきた映画が、結末の部分では異なったものになっていることには、一言触れておくべきでしょう。自分の作品をプロパガンダであると公言し、作品中で次々に社会問題を取り上げたショーの姿勢と、娯楽としてのミュージカルを作る制作者の立場の違いがここに表れているというべきでしょう。

 とは言え、上記の粗筋で触れた人々の他に、イライザの「新式」の話し方に魅了されるフレディの存在などもあって、映画も戯曲もストーリーだけ辿ったとしても大いに楽しめる作品になっています。ただ、戯曲を読むなら翻訳だけで満足せずぜひ原文で、映画を観るなら字幕を眺めるだけではなく、俳優たちの台詞にじっくり耳を傾けていただきたいと思います。そうすれば、花売り娘のイライザがヘンリー・ヒギンズ教授の名前を呼ぶ時、どうして「エンリー・イギンズ教授」になってしまうのか、娘にたかって生きているようないい加減な父親のドゥーリトル氏を指して、教授がなぜ「修辞学(rhetoric)の才がある」と感心するのかなどを、きっと笑いのうちに理解できることでしょう。

テキスト
George Bernard Shaw, Pygmalion (Penguin Books) 他
ジョージ・バーナード・ショー(著) 倉橋健・喜志哲雄(訳)『人と超人 ピグマリオン』白水社 1993
DVD/ビデオ
My Fair Lady ( ワーナー・ホーム・ビデオ)

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