水井 雅子

 ファンタジー文学がお好きな皆さん、もう『アーサー王伝説』は読まれましたか?
 『アーサー王伝説』に登場する魔法使いのマーリンほど有名な魔法使いも、先ずおりますまい。実にさまざまなファンタジー作品の中に、(時代が違おうが場所が違おうがお構いなく)そのものずばりマーリンという名前で、又、少し名前を変えて、この魔法使いは登場してきています。皆さんは、それに気が付いたことがあるかしら?最近は、彼の少年時代に焦点を合わせた、長編ファンタジーもでています。何かしら、作家の心を誘う要素があるんですね、この物語自体が。
 英語圏でファンタジーの本が好きな人にとっては、マーリンという音と魔法使いという意味は、そりゃもう、切っても切れません。これはもう、常識と言っても良いくらいです。マーリンとかマーリンを連想させる言葉が出てくると、その本を読むのが何かしら期待に満ちたものになる、というか、作者の遊び心に心惹かれて、その本を読む意欲が倍増していく、というか、そんなワクワク感もあるほどです。
 え? マーリンについて聞いたことがない? 『アーサー王伝説』も名前だけしか知らない? じゃ、ちょっと触りだけ、ご紹介しましょう。

 『アーサー王伝説』は、(伝説は昔話ではなくて、実際に起こったとされる事柄が今に伝わっていることですから)様々に歴史的な検証や考察がなされ、膨大な研究書が何冊も出ている、イギリスの古い伝説です。舞台はブリテン島のコーンウォールという、地図で見るとフランスに向かって突き出たような左下の半島部分で、いわゆるイングランドではなく、物語として文字化されたのもフランス語が先でした(1469年から一年かけてサー・トマス・マロリー卿が英語に訳したのが最初で、それを編集して1485年に出版したのが、印刷業で歴史的に有名なあのウイリアム・キャクストンでした。ずいぶん古い話なのですよ)。アーサー王は実在したと言われていますが、それも歴史の霧の中で、正確なところは特定できていません。どうやら5世紀から6世紀頃の、ブリテン島の一領主で野戦指揮官だったらしいのですね。でも、このことをやりだすと物語から逸れていってしまうので、歴史に興味のある方は、そういう本を読んでいただきましょう。マロリーの『アーサー王の死』と、マシューズの『アーサー王物語日誌』には、その辺りのことが少し言及されています。
 物語も複雑で長いものです。ウーゼル・ペンドラゴン王の息子アーサーが誕生するに至った経緯から、一貴族の養子として成長したアーサーが王位継承権を認められるまでが、一波乱も二波乱もあるのですが、アーサーを王にするのに活躍した魔法使いのマーリンは、その後、姿を消してしまいます。何と、嫉妬深く美しい妖精に監禁されているらしいのです。一方、立派な騎士たちがアーサー王を慕って集まり、物語は騎士たちの冒険ロマンスとなっていきます。どの騎士も優劣つけ難く、そのためアーサーが円卓を用意しました。「円卓の騎士」はここに誕生したわけです。
 物語は進むにつれて、ロマンスと冒険の物語から聖杯探索の要素が強くなっていきます。ご存知ですか、聖杯って? イエス・キリストが最後の晩餐で使った杯です。十字架にかけられたときの血を受けているものだそうで、聖杯探索をテーマとする物語は意外と多いんですよ。この作品はロマンス文学の最高傑作の一つですが、キリスト教のプロパガンダ的要素も感じます。

 ま、それはともかく、何と言っても残念なのがマーリンです。彼の片方の親は人間ではないと言われていて、その点からして不可思議な、人の心を誘う存在なのですが、伝説の中では彼の少年時代は書かれていません。でも、あれほど華々しく様々な策に満ちていたマーリンが、情けなくもドジにも、美女に魅入られてもはやシャバには出られない身の上なのです。だから『アーサー王伝説』の中で、マーリンの出番は初めのころだけで、実は意外と少ないのですねえ。その後の文学に顔を出している割合では、多分『アーサー王伝説』の中ではナンバーワンでしょうけれど。でも物語は、マーリンがいなくなっても、どの話も不思議さと美しさに満ちていて、だからファンタジー好きの人には『アーサー王』物語は堪らない魅力を放っているのでしょう。
 実は、ここに登場する人間達に焦点を合わせると、これが悲しい話が多いのですよ。アーサーが誕生するその最初から、アーサーの母は巧妙に騙されてアーサーを宿してしまったのだし、アーサーが王になるにも試練がいろいろあったしね、妻のグィネヴィアはアーサーが高く評価している騎士と不義(古い言葉ですね!?)の関係にあるのだし、おまけにアーサーの最期ときたら義理の甥に殺されてしまうのですから。しかも悲しい話はアーサーだけではありません。悲しい話というのも、やはり人を惹きつけますから、どちらにしてもこの物語は魅力的なのです。
 それにしても、アーサーが生まれるように取り計らったマーリンさん、途中で勝手にいなくなっちゃって。貴方のお仕事はまだ終ってなかったはずじゃないの? その後の活躍を読みたかったですわ。もっとも、これほど中途半端に姿を消したからこそ、後々、さまざまな作家たちがマーリンに言及せずにはいられなかったのかもしれませんけどね。

 何冊か紹介しますが、やはり一番面白いのは、イギリスで最初に出たサー・トマス・マロリー卿の『アーサー王の死』でしょう。詳しさが違います。これは一気に読んでいく物語ではなく、アーサー王が主人公ではあるものの、さまざまな人々のエピソードが重なっている物語で、一話づつ楽しみながら読んでいくものなので、詳しく枝葉が書かれている方が面白いんですよ。その意味では、歳時記形式になった『アーサー王物語日誌』も凝っていて、飽きない作りになっています。

テキスト
『アーサー王の死』(物語)サー・トマス・マロリー著、ウイリアム・キャクストン編、厨川文夫・圭子訳、(ちくま文庫)
『アーサー王物語』(物語)トマス・ブルフィンチ著、大久保博訳、(角川文庫)
『アーサー王と円卓の騎士』(物語)ローズマリー・サトクリフ、山本史郎訳、(原書房)
『アーサー王と聖杯の物語』(物語) 同上
『アーサー王 最後の戦い』(物語) 同上
『アーサー王物語日誌』 (物語)ジョン&ケイトリン・マシューズ著、中野節子訳、(東洋書林)
『マーリン?:魔法の島フィンカラ』(ファンタジー)T.A.バロン著、海後礼子訳、(主婦の友社)
『マーリン?:七つの魔法の歌』(ファンタジー) 同上
『アーサー王伝説―歴史とロマンスの交錯―』(研究書)青山吉信著(岩波書店)

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