あなたにとって大切なものは何?

水井 雅子

 ファンタジーの役割って、何だろう。社会が複雑に細分化され、物事が単純でなくなった現代に、これほど人々の心を捉える要素は何だろう。

 『はてしない物語』で有名なドイツの作家ミヒャエル・エンデには、すばらしい物語が多くあるが、その中で、「時間どろぼうと、盗まれた時間を人間に取り返してくれた女の子の不思議なものがたり」である『モモ』(1973)を紹介したい。

 主人公は、どこからともなく現れて、郊外の廃墟となった円形劇場に住みつくことになった10歳くらいの女の子、モモ。心温かい下町の人たちは、彼女がここに住めるようにしてくれる。髪はもじゃもじゃだし、着ているものは男物の上着に、さまざまな布を縫い合わせた長いスカートである。靴は雨の降る日だけ履くけれど、片方ずつが違っている。他には何も持っていない。モモは強制収容所的な施設から逃げ出してきたのだった。
 でも彼女は不思議な子だった。彼女といると誰でも楽しくなるし、良い考えが思い浮かぶし、自信がわいたり、元気が出たりする。モモは、自分では話さず、その美しい大きな黒い目でじっと見つめて、ただ黙って人の話を「聴く」だけだったのだけれど。やがて大人も子どもも、いろいろな話をしたり、遊んだりするためにモモのところにやってくるようになる。特に仲良しになったのは道路掃除の老人ベッポと、観光ガイドの若者ジジで、モモは、ベッポの少し哲学的な独り言のような話に耳を傾け、ジジの語る色鮮やかな「お話」や「途方もない夢」に耳を傾けて、さまざまなことを学んだ。みんな幸せだった。

 そのころ、町に不気味な紳士たちが現れた。灰色の服を着て灰色のかばんを持ち、常に葉巻をくわえている彼らは全く人目につかない。目に見えているのに、誰も気が付かないのだ。人の見えないことが良く見えるベッポでさえも、彼らに気づかない。ただ、彼らが来ると寒くなる。冷気を感じるからである。彼らは、姿を現そうとする相手にだけ、姿が見えるのである。彼らは町の人々を言葉巧みにだまし脅して、「無駄に使っている」時間を節約させ、貯蓄銀行に預けさせ始めた。町の人々はお金に目がくらみ、「無駄な」時間を削って働き続ける。「無駄な時間」とは他人のために使う時間であり、自分のためにゆったりとすごす時間である。人々は毎日てんてこ舞いの忙しさで、ぎすぎすとした余裕のない暮らしになってくる。それに気づいたモモは一人一人の知り合いを回って、正気に戻してしまう。つまり、それとは気づかないながら、灰色の男たちの邪魔をしたのだった。

 灰色の男たちは、生きた人間ではなかった。実は何者でもない。彼らは他人の時間を吸うことで生きていた、いわば「死者」である。彼らが絶えず吸う葉巻は、人々が「将来のために」節約した時間から勝手に作った、彼らの命の元なのである。人々が忙しく働いて「人のため自分のために」使う時間を削れば削るほど、灰色の男たちには時間が(すなわち彼らにとっての命が)増えることになる。やがて彼らは、人々から時間をちびちびと取り上げるだけでは満足できなくなり、全部取り上げて、人間たちの代わりに世界を支配しようと企む。
 そんな彼らにとって、他人のために自分の時間を使うことが喜びであるモモは、邪魔な存在であるだけでなく、彼女に打算がないだけに強敵でもあった。モモは彼らの物質的な誘惑に、まったく魅力を感じないから尚更である。モモを抹殺しようとする灰色の男たち。モモは、時間を司るマイスター・ホラの保護を受けて灰色の男たちから一度は逃れたが、外界に出られないマイスター・ホラに代わって、半時間先のことが分かる亀カシオペイアと共に敢然と彼らに挑む。でも、多勢の男たちを相手にどうやって?

 現代への鋭い批判の示唆に富んだ要素が随所に見られる。一見突拍子がないと思われるモモの人物設定は、こうでなくてはならなかったのだと分かる。つまり、「社会に組み込まれていない」モモしか、人々を救うことは不可能だったのだ。

 ありとあらゆることをメッセージとして発信しやすい文学形式は、あるいはファンタジーではないのか。ファンタジーの可能性に気づかせてくれる物語である。

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