中国を旅してーことば、国土、観光、経済発展・・・

中国を旅してーことば、国土、観光、経済発展、、、

川畑 松晴

align="right" hspace="5" vspace="2" width="350" height="250"> 5月8日から4泊5日、石川県日中友好訪問団の一員(副団長)として中国を訪問した。以前から所属する県世界青年友の会の主催で、会員・県民有志総勢60名。目的は小松空港―上海・浦東空港の定期便を実現させること。お隣の富山空港と競っている。このため本県では、一種の事前運動としてチャーター便をこの区間によく飛ばしている。この訪問は、それに協力する旅であり、かつ本県が友好関係にある江蘇省の人民対外友好協会に、この定期便実現の支援を訴える石川県知事の親書を手渡すことであった。省都、南京での江蘇省の幹部との話し合い及びその後の文化交流会も和やかな雰囲気の内に終了し、連日25℃〜30℃の夏日の旅であったが、70才代のお年寄り数名を含む全員が無事に帰国した。副団長としてもほっとしているところであるが、本稿ではこの主たる目的以外の部分について書くこととする。その方が学生諸君には有益だと思うからである。

 英語教師として、欧米や豪州は若い時から訪ねている。また、アジアも近年いろいろな縁から韓国、ベトナム、カンボジア、タイ、シンガポールと期間・回数の多寡は別にして訪問の機会をもっているが、中国は初めてだ。それだけに、改めて中国の大きさと凄さを実感した。が、しかし同時にその変化の速さと大きさに脅威と不安を覚えたのも事実である。いくつか、印象を述べてみたい。

1.ことばについて: 日本が使える便利さと甘え?

 これは後段で述べる中国の凄さや脅威と直接関係はないが、まず取り上げておきたい話題である。
今回ほど、日本語が自由に使える旅は今までなかったかもしれない。中国人のガイド通訳の人たちのお蔭で、言葉の面ではほとんど不自由がなかった。ホテルでも日本語の分る従業員が多かったし、買い物にもガイドがついてきてくれた。2台のバスで移動することが多かったので、5日間通しての通訳が2名、それに上海、桂林、南京と各訪問地に2名ずつの通訳ガイドがついた。中には聴き取りにくい発音の人もいて、団員で少し文句を言ったり小さな声でからかう人もいたが、私のみるところ8人共になかなか流暢で、かつ日本の歴史や現代事情によく通じている優秀なガイドであった。彼等の何人かに聞いたが、全員が外国語大学(北京や上海の)日本語学科の出身で、多くは英語も堪能だ。総じてアジアでは観光業に優秀な人材が多く集まるらしい。わが国はどうだろうか。旅行会社が大卒の求職者にとって人気企業であることは変わりがなさそうであるが、中国語や韓国・朝鮮語が流暢とは言わないまでもなんとか使いこなせる社員やガイドがどれくらいいるだろうか。英語についてすら、その数はしれているのではなかろうか。わが国は観光の面で出超、即ち入りよりは出が多い(日本を訪れる観光客より外国へ出かける日本人観光客が圧倒的に多い)と指摘されているが、物価高に加えて言葉の面でも受け入れ態勢に問題がありそうだ。

 さて、日本語でほとんど用が足せるのは有難いことだが、旅が進むにすれて一つ気になることが出てきた。それは、これまでの英語に頼らざるを得ない旅では全く感じなかった現象である。上で少し触れたように、団員の中に、ガイドの日本語に文句を言い、からかう人が出てきたのである。ささいな表現の違いや発音上のナマリは外国語学習では不可避だ。最近では、そのような変種こそその学習者のアイデンティティーを示すものとしてむしろ肯定的に捉える考えが主流を占めつつある。つまり「母語話者が唯一のスタンダードで、それからの逸脱はすべて誤り」という訳ではないのだ。英語を含めて、不自由な外国語に依存せざるを得ない体験は人を謙虚にし、一方そのような体験を持つことなく自分の母語がいつでもどこでも通じると思っている人は、そのことへの一種の甘えから、傲慢な体質を知らず知らずの内に醸成してしまうのかもしれない。外国語学習の効用がまた一つ見つかったような気がする。

2.国土と人口: 世界一の国土、人口、都市、そして汚染? 

align="right" hspace="5" vspace="2" width="300" height="226"> 上海―桂林―南京への移動はすべて2時間前後の飛行機。小松空港から沖縄本島への旅を繰り返したことになる。それとて、中国全土のごくごく一部でしかない。

 上海に林立する高層ビル群にも驚いた。その数だけではなく、ファッション性の高い、モダンなビルの多いこと。上海は戸籍登録人口が約1400万人。地方からの流入人口を加えると約2000万人とか。まさに世界一の大都市である。そして、中国全土の人口は13億を越えたそうである。世界の総人口の20%以上が中国に住んでいることになる。

 人の住むところに汚染が生まれる。桂林市内の4つの湖は汚染がかなり進んでいる。夜は後述のように人工のイルミネーションで汚れは見えないが、このままでは悪臭を放ち始めるのもそう遠くはないように思われる。火力発電による大気汚染と共に、広大な国土は有していても巨大な人口をささえるのは容易ではなさそうである。

3.自然美と観光資源: 世界の観光客を誘致する官民一体(?)のプロジェクト

 今回訪れた名勝は桂林。万里の長城、西安、敦煌等と並ぶ中国が世界に誇る観光スポット。

 前にベトナムのハノイ近くの「海の桂林」を訪ねたが、本家本元はやはり違う。まさに墨絵の世界のように連なる奇山、妙峰のみならず、その下に隠されている鍾乳洞が我々の度肝を抜いた。一つにはその規模。離れた所にある別々の洞窟(というには余りに巨大だが)に入ったが、小さい方でも秋吉台の鍾乳洞の数十倍はあろうか。石灰質の山地が水に溶けて創り出す自然の奇形(景)を「これでもか?これでもか!」というほど味わった。もう一つ圧倒されたのは、そのような自然を徹底的に利用・活用しようとする中国の観光行政だ。洞窟の壁や石柱・石筍には赤・緑・青・黄などのライトが当てられ自然な石灰の色はそこにはない。巨大な洞窟内の見学用歩道は舗装され、歩行に邪魔な岩壁は多分壊され、奥地へ入るにはトロッコが走り、さらに奥地はボートで探検し、最後は数十メートルのエレベータで地表に戻るという、ハリウッドの映画(ジュラシック・パーク)かディズニーのテーマパークをも凌ぐような設備が施されている。観光客の目を楽しませ、見学の便宜を図るための工夫だろうが、自然の驚異をあるがままに感じたい私には、自然破壊と映る。このような中国の観光施策は桂林市内の夜の風景でも顕著だ。

 由緒ある塔や建物のみならず、市内周辺の自然林までもがカラフルなライトで照らされ、脚色がされている。中国全土では電力不足だというのに、いやそれだからこその外貨獲得の観光施策なのであろうが、その徹底振りには驚きを超えて反発と失望感すら覚えた。社会主義の悪しき権力集中と市場経済主義が手を結ぶと、自然もこのように収奪されてしまうのであろうか。それとも、これは彼我の自然観の単なる違いに過ぎないのであろうか。

4.経済的発展: 改革・開放政策と社会主義

align="right" hspace="5" vspace="2" width="300" height="220"> すでに少し述べたが、とにかく市場経済主義がこんなに普及し、一般化しているのに驚いた。訪ねた土地が大都会ばかりで、地方や農村を訪ねていないからでもあろうが、とにかく都市部の発展は凄い。とくに上海では利潤目的のマンション建設がここ数年前からブームらしい。空港から市内へ向かうバスの車窓からでも20〜30階建ての工事中のビルが数十見える。今年2LDKで1500万〜2000万円クラスのものが、来年には1.5倍から2倍になるという。また、8000万円のマンションも売れるという。こんな高価な買い物ができるのはごく一部の目敏いビジネスマンの成功物語だとしても、今の中国の経済状況の一端を示している。2008年の北京オリンピック、そして2010年の上海万博を目指して、右肩上がりのインフレ景気はハジケルことなく膨張し続けるのであろうか。どうなってしまったのだ、「能力に応じて働き、必要に応じて分配される」という社会主義の理想は?と内政干渉ながら、皮肉の一つも言ってみたくなる。「先富論」をぶち、沿岸部の経済特区の発展をまず図り、それを中国全体の経済力振興の起爆剤とするという?小平の理論は理解できる。他国のことながら、貧富の差が嵩じて、反革命が地方から起きないことを願うものである。

おわりに: 英語+アジア語を何か一つ

 経済的豊かさの追求は人の本能であろう。誰もそれを否定できないし、ましてその恩恵を十二分に享受している我々に、後に続く者を批判する資格はない。中国の発展を脅威と捉えるのではなく、市場型経済の先輩として(公害対策を含めて)その発展に協力しつつ、わが国自身の繁栄にも連動させていく政策が望ましい。

 そのためにも、隣人としてまたアジアの一員としての自覚をもっと高める教育が必要であろう。よいモデルがEU(欧州連合)である。一挙にあのような結束は難しいとしても、緩やかなアジア連合を、まず経済活動の面から追求したいものである。グローバリゼーションはお互いの国・民族の違いを認めあう多文化主義が土台にあってこそ可能となろう。この点でも外国語教育の意義は大きい。すでにASEAN(東南アジア諸国連合)の公用語となっている英語学習は勿論のこと、やはりそれぞれの国を理解するのにその国の母語の学習は有力な武器であり、親交の際の礼儀でもある。このような観点から、小・中・高校の総合的学習の中の国際理解教育が計画されたり、また、韓国のように高校から第二外国語としてアジアの言語が学べるような教育環境をぜひわが国でも実現したいものである。

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