「環日本海民俗学」について

益子 待也

 思わぬきっかけから、「環日本海民俗学」というテーマを追いかけることになった。歴史学者の故網野善彦氏による『「日本」とは何か』(2000年、講談社) という本の冒頭には、大陸から見た「日本海」を描いた地図が載っている。その地図は、富山県が平成6年に当時の建設省国土地理院長の承認を得て作成したものだが、わたしたちが日ごろ見慣れている日本や日本海がまったく異なった姿で描かれていることに驚かされる。韓国では「日本海」を「東海」と呼んでいるが、わたしは今ここで「日本海」の呼称に固執するつもりはないし、また「日本海」という呼称についての論争を展開しようというのでもない。ただ、大陸側の視点から描かれたその地図を見たとき、わたしたちにとって familiar であるはずの「日本海」が、大陸側から見ると、日本列島や朝鮮半島や中国大陸やロシア沿海州やサハリン島(樺太)に囲まれた exotic な「内海」に見えるということを知って、わたしは、軽いカルチャー・ショックのような意外な感覚を覚えたのである。

 現代を生きるわたしたち日本人に意外に気づかれていないことの一つは、日本海をはさんで北日本のちょうど対岸あたりにロシアの沿海州地方があることだ。このロシア極東地域のアムール川(黒龍江)やウスリー川(烏蘇里江)を中心とした地域には、ナーナイ、ウデヘ、ネギダール、ウリチ、ニヴフ、オロチなどの先住民族が生活している。これらの民族を言語学的に見ると、一応パレオ・アジア諸語(古アジア諸語)に分類されているニヴフをのぞいて、その他の民族の言語は、アルタイ語族ツングース語派に分類されている。このアルタイ語族ツングース語派に属する言語をもつ代表的な民族はエヴェンキで、エヴェンとともにトナカイ飼育や狩猟を行い、シベリア中部と東部および極東地方に広がる広大な地域に生活している。アルタイ語族ツングース語派のその他のナーナイ、ウリチ、オロチ、ウデヘ、ネギダール、ウィルタといった民族は、アムール川(黒竜江)流域と沿海州やサハリン(樺太)に住んでおり、河川での漁撈、森林での狩猟と、海岸では海獣狩猟も行っており、近隣の民族や中国との交易も行っていた。

 現在わたしは、中国語と韓国語とロシア語を同時に学ぶ準備をしている。もともとわたしは英語、ドイツ語、フランス語など西洋の言語を外国語として習ってきたのだが、「環日本海民俗学」という問題意識を持ち始めてからは、「老いの愉しみ」という側面もあって、中国語、韓国語、ロシア語などに興味を覚えるようになってきた。文化人類学には「オリエンタリズム」という西欧的目線が潜在しており、一方、柳田国男が創始した日本民俗学には「ナショナリズム」という国学的目線が付き纏(まと)っていた。だが、その名称の是非はともかく、「環日本海民俗学」という主題は、オリエンタリズムからもナショナリズムからも解放された新しい視線を伴った学問分野を開拓できる可能性を示唆しているように思われる。このような問題意識を持ちつつ、わたしは今、中国ドラマや韓国ドラマを見ている。韓国ドラマの「朱蒙(チュモン)」や中国ドラマの「射?(ちょう)英雄伝」は、これまでわたしが知らなかった深く豊饒なドラマトゥルギーに満ちた世界を見せつけてくれるので、驚かされることが多い。

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