民間学とアカデミズム

中西 茂行

 「クラシック音楽以外はこのステレオでかけないように」。これは、40数年前に某高校の音楽教師の口から発せられた言葉として、ある方が、話して下さったものです。その学校のある先生が、当時発売されたミュージカル「マイフェアレディ」のレコードを音楽室のステレオで聴いていたときに、その音楽の先生がそのことをとがめて発せられた言葉です。
 異なる二種の音が左右のスピーカーからでて、音響の立体的複合性をつくるステレオは、当時、貴重な装置でした。その高貴な教育装置であるステレオにクラシック以外の音楽をかけるなどとんでも無い!というのです。
 皆さん、今の音楽教科書に、いわゆるクラシック以外の楽曲が入っていないなんて考えられないでしょう。私がちょっと調べただけでも「涙そうそう」「翼をください」「見上げてごらん夜の星を」「少年時代」そして、「川の流れのように」とあります。ご存じの方も多いかと思いますが、「川の流れのように」は、かの演歌の女王、美空ひばりのヒット曲ですよ。

民間学事典 事項編/人名編(鹿野政直・鶴見俊輔・中山茂編)
 上で述べた日本の音楽教育におけるクラシックの導入とその後の変化の様は、音楽や音楽教育に限ったことではありません。よく言われるように、明治の文明開化以降、日本の学問は、欧米からの輸入学問を中核としてきました。それは、当時の欧米のエリート層に範を求めたものであり、日本が近代国家となり、列強と伍するという国家目標に見合った学問姿勢でありました。そして、それはそれで大きな成果を上げてきたことも事実でしょう。しかし、学問に対する姿勢が国家目標に沿ってこのように方向付けられますと、その枠組みから外れるものは無価値なもの、取るに足らないものと無視されることも間々あるのです。

 幾つか例を挙げてみましょう。妖怪や河童の話に耳を傾けること。/明治期日本国の一つ、沖縄県の成立した後、それ以前の「琉球」を主張すること。/第二次世界大戦前・戦中の皇国史観とは違う歴史観を戦前にうち立てること。/各地の氏神様の数を減らし国家神道に統一しようとする神社合祀に、鎮守の森のエコ破壊につながると、生物学の立場から反対すること。/国華たる美術品としての陶芸作家の陶器ではなく、名もない焼き物職人の造りだす生活陶器に注目すること。/明治、大正期に、未解放部落の存在を生活条件から説きおこし、その改善を主張すること。/明治、大正の家父長制のもとにおける男尊女卑の現状を女性史という観点から批判的に検討しようとすること、等。これらは、国家目標に縛られる官の学問、アカデミズムから比較的自由な研究者によって担われました。

 お気づきの方もいるでしょうが、上に挙げたテーマは、「民間学」という名称を編み出した鹿野正直の著『近代日本の民間学』(1983)において、鹿野政直が取り上げたもので、それぞれにそれを創出、唱道した研究者がいます。日本民俗学の創設者、柳田国男、沖縄学の父、伊波普猷、歴史家、津田左右吉、生物学、民俗学の南方熊楠、民芸運動を興した柳宗悦、部落史研究の開拓者、吉田貞吉、女性史研究をうち立てた高群逸枝です。その他、民衆娯楽を取り扱った権田保之助、考古学ならぬ考現学を唱道した今和次郎、人間の性の問題を調べた生物学者、山本宣治らがこの著では取り上げられています。

 もう10年以上、前のこととなってしまいましたが、在野の思想家、鶴見俊輔は、二人の大学人、鹿野正直、中山茂とともに『民間学事典』(1997)という事典を編纂しました。折に触れて、学校制度、官の学、アカデミズムの弊をいわば挑発的に説いている鶴見俊輔が、この事典編集作業については次のように言っています。「(民間学というのは)何をやっても第一歩という感じが私にはするんですね。本物の歴史家の鹿野政直さんと科学史の中山茂さんに助けていただいて、ようやく二、三歩というところですよ」(『三省堂ブックレット』1997年7月号)。ここでいう「本物の」歴史家、科学史家と大学に籍を置く研究者とはイコールではありません。しかし、大学で学ぶ者、大学に職を得ている者にとっては、この言葉からくみ取るべき点は、大いにありそうです。従来のアカデミズムが見逃してきたテーマ、視点に光を当て、アカデミズムを活性化するものとして民間学的立場を尊重し、さらなる学問的討究を怠らない――。ここまで書いてきて、息苦しくなりました。自分で自分の首を絞めているようで。これで終わります。

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