チベット文化とチベット仏教

槻木 裕

 大学院のときにチベット語を習ったことがある。僕は学生のときに西洋哲学をやっており、文献的な興味よりも教理的な興味がはるかに強かったので、あまり身を入れてチベット語をやる気にはならなかったけれど、仏教を文献的に研究しようとするならチベット語の修得は必要不可欠だった。これは今でも変わらない。

チベット語の教科書とチベット―サンスクリット辞典
 仏教研究においてサンスクリット原典が第一級の資料であることは間違いない。けれども経典によってはサンスクリット原典が失われている場合がけっこうある。こんなときは日本人だったら、仕方がないから先ずは漢訳を利用しようとする(余談だが、日本人は漢字に親しんでいるから漢訳経典を利用することにおいて有利であり、また、千年以上にわたる研究の伝統もあるから、それで日本の仏教研究は世界の水準のトップにある)のだが、原語が何であるかなど詳細を知るには漢訳経典はあまり役に立たない。そんなときチベット訳の経典がものすごく参考になるのである。というのは、チベット人は“国家的事業”として原典を本当に忠実に訳したに対して、中国人は訳者の判断で、大幅に意訳したり、順番を並びかえたり、ひどいのになると原典に書いてないことを付加したりするので、信用ならないのだ。
 しかし、サンスクリット語は印欧語族に属し、チベット語とはまったく言語の系統が異なるから、「忠実に訳す」と言っても、大変だ。チベット語は日本語と同じく膠着語で、「てにをは」に相当する助詞があって文章が形成されるから、英語をドイツ語に訳すのとは、わけが違う。それでもチベット人はこの困難な訳業を何代もかけてやり遂げた。7世紀のチベット国王、ソン・ツェン・ガムポはトンミ・サンボータをインドに派遣してサンスクリット文法を学ばせたが、(古典)チベット語文法=トンミ文法はサンスクリット文献を訳すために制定されたとも考えられるのである。

 そんなわけで、チベット文化を全般的に見る場合、中国文化の影響ももちろん受けているだろうが、こと仏教に関して言うなら、チベット仏教はインド仏教の流れをより強く反映している。さらにこの流れは、インドにイスラム教徒が侵入し、多くのインド僧がチベットに亡命する形でインド仏教を直接にチベットに伝えたことから加速した。インド北部のカシュミールは仏教の栄えた土地、パミール高原は隣地である。有名な僧としてはアティーシャ(982〜1054)がいる。アティーシャはインド人だが、彼の仏教がチベット仏教に与えた影響は大なるものがある。その後、ツォンカパ(1357〜1419)がチベット仏教を確立した。

 チベットの民は人種的には漢民族に近いだろうし、中国の王朝に服した時代の方がインド系の王朝に服した時代よりもはるかに長いのだろうが、文化の核がインド系の仏教である限り、精神的文化の雰囲気としては、われわれが想う以上にインドの方を向いているのであろう。それにしても、一般にチベット仏教は後期大乗の強い影響下にあって、もっと密教色が強く、もっと唯識性が、すなわち「三界は虚妄にして、ただ是れ一心の作」とする観念性が強いのかと思われているのだが、今回の騒ぎで注目を浴びたダライ・ラマの言動からしても、やはりこの現実世界にこそ問題や関心の所在がある健全な大乗仏教の伝統が、現在も連綿と生きていることを再確認できて安心した。

 話は変わるが、今度のチベットの“騒乱”、そして聖火リレーの騒ぎを、かつて国際文化学科にいた林(りん)暁光さんがいたら、どう評しただろうか?との思いが頭を去らない。林さんは共産党一党独裁化の中国社会におけるマスコミ問題、つまり報道の自由の問題を研究対象にしていたから、中国人の中では人権意識は高い方だと思う。彼がウチのスタッフにいたころ、彼との間にはそれなりに信頼関係があったから、「ウィグル族やチベット族が独立しようとしたら、君はどう思うか?」と、いま思えばなおのこと、踏絵させて試すようなことを尋ねたことがあった。この問いに彼ははっきり答えなかった。それで、「台湾が独立しようとしたら?」と問いを重ねたら、彼は憤然として、「台湾人は漢民族だ。チベットやウィグルと同じように論じられない」と答えた。今回、チベット族がチベット自治区、青海省のみならず、四川省にまで居住していると知ったが、相手が気色ばむのを覚悟でやっぱり尋ねてみたい、「チベット族に大幅な自治権を認める気はないか?」と。
 当然、彼は否定的に応えるだろうが、そしたら今度は、彼とナショナリズムの問題について議論したいと思う。中国人もナショナリズム、チベット人もナショナリズム。ただし、私どもも靖国問題に見られるナショナリズムの問題をかかえているのだから、傍観者然とはしておれない。それでこその議論である。

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