マル秘・国際文化式「一万円札を増やす法」?

槻木 裕

一万円札 僕は一万円札が好きだ。僕はまた千円札よりも一万円札が好きだ。その証拠に、どちらかをあげようと言われたら、ためらいなく後者を選ぶ。だが、野口英世よりも福沢諭吉の方が好きだというわけではない。

 昔、千円以上の札はみんな聖徳太子だった。偉かったからお札の肖像になったのだと思っていた。幼少のみぎり、一円札というのがあって、二宮尊徳だったと覚えているが、福沢は幕末の二宮金次郎さんより一万倍も偉いようには思えない。慶大出身のA先生とM先生も、不埒なことに、銅像になっている金次郎さんの方が偉いと思うと言っていた(と思う?)。

 学生の卒業研究のお相伴(しょうばん)に与かって、福沢関係の本を何冊か読んだ。偉いというより、面白い人だと思った。いや、幕末−明治中期の動乱時代を力いっぱい生きて、福沢本人も「人生を二回経験した」と言うほどの貴重な体験をたくさんした人と言うべきか。なかでも国際文化の学生にこれは参考になると思ったのは、次のようなエピソードだ。
 福沢は初めオランダ語を勉強しており、蘭語塾の塾長代理を務めるほどに上達していたが、あることで、これからは英語だと思った彼は、英語を一から勉強しなおす。英蘭辞典などまったく入手しにくい当時であったから、これは大変なこと、大変な決断であったにちがいない。やがて、外国の事情をつぶさに知りたいと思った彼はツテを頼って咸臨丸に乗り込み、渡米を果たす。そこで、彼は、とあるアメリカ人に「J.ワシントンの御子孫どのは今どうしておられるか?」と尋ねたという。彼にすれば、初代大統領ワシントンはアメリカ建国の父、その子孫となれば、さぞや立派に貴族然として広大な所領を有しているものと思い、そう尋ねたものだろう。すると、相手は、なんでそんなことを尋ねるのだと言わんばかりであったけれども、まあ、一応は「ええ、元気ですよ」とかナントカ自信なげに答えたらしい。あとで福沢は、ワシントンには子供がいなかったと知って、封建文化の意識のままに尋ねた自分を恥じ、尋ねられた相手もさぞや面食らっただろうと回想している。
 福沢によると、このことのみならず、一番分からなかったのは、政治制度や経済・金融の仕組みだったと言う。アメリカ人は日本の使節団を工場などに連れて行き、さも驚けと言わんばかりに説明してくれたが、これらの科学的なことやその原理については渡米前に勉強していたので、そんなに驚かなかったと言うのだ。

 そうだろうね。科学は万国共通で、アメリカで重力の法則が成り立つが、日本では成り立たない、なんてことはないが、政治制度をはじめとする社会制度にはそれぞれ個性があるし、それらの底流にある文化、気質ということになると、漠然としていて、外部からはさらに分からないからね。文化理解というのは総合的な課題だということを、このエピソードはよく示している。
 さらに、福沢が二度の外遊で痛感したことは、儒教文化の日本人は伝統的権威に盲従しがちで、独立の気象に欠けるということだった。以後、彼はこの気風を日本人の性根に植えつけるべく奮闘を重ねる。相手の雰囲気的な文化を理解するのはむずかしいことだと今述べたばかりだが、それを異質の文化の中核に据えようとするのだから、なおむずかしい。「和魂洋才」をめざすのでなくて、「洋魂」をもくろむのだ。だから、伝統権威の象徴である天皇(制)に対しても容赦ない批判を行う。この点はまったく敬服するところで、現代のジャーナリズムでも、思ってはいても、なかなかああまでは書けまい。明治というと、一途に天皇中心の国家主義の基礎を固めた時代とのみ思うが、そうではなかった伸び伸びとした維新の時代がその先にあったことがよく分かる。

 こういうところは福沢が百万円札の肖像になってもいいと思う部分で、偉いとホントに思うのだが、独立の気象を高く掲げたゆえに、独立の気概が育たないとみた中国、韓国を必要以上に低く見、馬鹿にするという、どこか今に通じる日本人の心象の原型になったみたいなところがあって、それで百%の敬服ができないわけだ。

 ねっ、だから、分かるんだ。僕は一万円札が好きやのに、一万円札はすぐに僕から逃げていくわけが。福沢を百%敬服してないから、福沢もそれが分かるんだね。胸のポケットに大事に入れて、36度の体温で温めているだけじゃ、増えないんだな。やっぱ、敬愛の心をもって、大切に温めないとダメなわけ(尻のポケットはもちろん論外)。
 国際文化の諸君! 福沢を勉強し、そして敬愛の心で胸のポケットに入れておけば、きっと、孵化して、知らぬ間に増える。せっかくこんなすばらしい利殖法を知っていながら、僕には肝心の福沢を敬愛する心が足りない。この前も、朝、家内から何枚か福沢諭吉をもらってきたのに、大酒飲みの福沢は片町だと分かると、夜の巷をさっさと大量に逃げていった。誰か、僕の無念を晴らすために、この増殖法を実証してくれ。頼む!(そして、少しばかりおすそ分けしてくれ)

ソレ逃げろ〜

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