源流から未来へ

中西 茂行

 まず、差別問題の社会学から、二人の社会学者のフィールドワークでのエピソードを紹介しよう。一つ目は、H.Y.氏が、若かりし日、被差別部落へ先輩の社会学者とともに聞き取り調査に出向いた際の出来事である。調査早々に氏が「〇〇さんは、これまでどのような差別を受けてきましたか」と質問し、「そんなん、差別なんか受けたことおませんわ。ここはええ村やし」と、調査に応じてくれた高齢の女性に微笑みながら答えられ、当惑したというものである。H.Y.氏からの問いかけを軽くいなすかのように無視して、その後、他の調査者と子ども時代の村の様子などを話す女性を前に、氏は「かたまって」しまったと述懐している。そして、氏は、このことを「「決めつけ」をおしつける失礼」と表現している(好井裕明、2006)。

 同じく、差別問題の社会学、ライフストーリー研究者の桜井厚氏は、被差別部落の女子高校生に某氏がインタビューした際のやりとりを紹介している。そこでは、インタビューアーが、調査に応じてくれた高校生の高校進学選択を差別被害の回避を意図した選択でもあったという枠組みにねじ込もうとしていることが指摘されている。当の女子高生が、遠い地にある別の高校に行くと一人になり、それがいやだったと答えたら、インタビューアーは「(他の高校で一人になるのに)何が不安やったん?」と聞く。インタビューを受けている二人の高校生は、何となく誘導されているような感じを受け、「そんなん。なんもないのに」「なぁ」とお互いうなずき合い、インタビューアーがかえってとまどいを見せることとなる。そして、高校生が「(一人だとなにもできないというのは)いざというときに、なんもできひん、ゆうこと」と答えると、インタビューアーは「あ、なるほど。いざゆうのは、なんか、そうゆう、具体的な差別事件みたいなのが、自分の周りでおこったりしたとき、やっぱり、仲間がいた方が、とゆうとこらへんで、選んだ部分もあんねんな?××高(・・)。」と解釈する。桜井は、このことを「渡りに船とばかりに」結論づけているとコメントしている(桜井厚、2002)。

鶴見俊輔・編『思想の科学五十年・源流から未来へ』 1960年代末から70年代にかけて、アメリカにおいて、そして、その後、日本においてこれまで社会科学、社会学が現実解釈、説明の枠組み、拠り所としてきた理論(例えば、多民族を「アメリカ人」という一つの国民に統合することを課題としてきたアメリカ社会学や人類の歴史を階級闘争の歴史で説明するマルクスらの史的唯物論)がはたして現実の多様な生活の意味を理解し得ているのか、研究者の勝手な思いこみ、視点で現実を切っているのではないか、という反省が生まれた。それらは、現象学的社会学、象徴的相互作用学派、エスノメソドロジー等と多様ではあるが、共通しているのは、研究者が前もって研究対象を料理する道具として、手持ちの理論を使用するのではなく、まずは、生活者として存在する調査対象者からひとびとの生の声を聞き、それをそのまま記述してみようということであった。
 第二次大戦終了後すぐにスタートした「思想の科学研究会」の目指したものの一つは、「ひとびとの哲学」である。職業的哲学者の哲学ではなく、「一般人の哲学思想をとらえ直す事」を目指したのである。この場合の哲学とは、今なら「ひとびとの社会学」と言い替えてもいい面を多く含んでいる。

 2005年、雑誌『思想の科学』(1946-1996)に関する4回のシンポジュウムをまとめた著、『源流から未来へ』が発刊された。この書名にある「源流」とは、思想の科学研究会で問題提起された思想、学問の方法などが50年の時間的隔たりにおいて現在、未来に対して源流を成す、という意味であろうが、ここではあえて観点を変えてみよう。思想の科学研究会の活動を主導した鶴見俊輔の目指したことのひとつは、思想、学問の方法の源流を、知的エリートにではなく、名もない人びとの中に求めることであった。このエッセーの題名に「源流から未来へ」という表現を拝借した真意はこのようなところにある。

 なお、蛇足ではあるが、先に挙げた二人の社会学者が、差別問題を現代の解決すべき重要な問題と認識していることはいうまでもない。

参考文献
 好井裕明『「あたりまえ」を疑う社会学』光文社 2006
 桜井厚『インタビューの社会学』せりか書房 2002
 鶴見俊輔編『「思想の科学」五十年 源流から未来へ』思想の科学社 2005

Comments are closed.