社会学者、鶴見和子逝く

中西 茂行

鶴見和子、63歳の時

鶴見和子、63歳の時(『鶴見和子曼荼羅IV 土の巻』藤原書店、1998より)

 深夜1時、NHKにチャンネルを合わせたら、社会学者、鶴見和子の死が報じられていた(享年88歳)。その日の朝刊各紙(2006年8月2日)では、鶴見和子の訃報に社会学者としては異例のスペースが割かれている。臨床心理学者で文化庁長官の河合隼雄はじめ文化人の追悼コメントが目にはいる。中には、死亡通知記事とは別に、早々と追悼文を掲載している新聞もある。

 各紙記事にほぼ共通しているのは、弟、鶴見俊輔、政治学者、丸山真男らと雑誌『思想の科学』を創刊したこと、柳田国男の民俗学を社会学に取り入れたこと、さらには、民俗学者、博物学者、南方熊楠への関心、そして、西欧の歴史を人類の歴史の普遍とする西欧型近代化論とは一線を画した、その地域住民の土着性、創造性に根ざした「内発的発展論」の提唱の4点である。

 雑誌『思想の科学』の母胎である思想の科学研究会は、鶴見姉弟が、第二次世界大戦前のアメリカ留学時から大戦中の帰国時とその後の知的交流、人脈から姉、和子が、弟、俊輔のためにセッティングしたグループであった。思想の科学研究会の主要テーマの一つは、アカデミズムの哲学とは違う「ひとびとの哲学」の発見にあった。鶴見和子が主体的に関わった主婦や工場労働者との生活記録運動はこのような文脈で位置づけることができる。

 鶴見和子が、アメリカの社会学者、マリオン・レヴィJr.を柳田国男に紹介した際のエピソード、「日本には、まるいことばを使う人と、四角いことばを話す人と、二種類の人種がいる。ほんとうに日本をしろうとするならば、まるいことばをしゃべる人とつきあわなければだめだ。」と言う柳田の言葉は、そのまま鶴見の柳田民俗学への関心と鶴見の日本社会研究の姿勢を示している。鶴見は、柳田の『明治大正史世相篇』を社会変動論の書として位置づけ、そこに、西欧型の発展段階説とは違う視点を見出している。その幾つかを挙げれば、歴史の主体をエリートではなく常民にみる点、行為を駆動するものとしてイデオロギーより情動に注目する点、歴史が進化や段階を経ると見るのではなく、古いものの上に新しいものが積み重なっていくと見る視点(つららモデル)など。

 鶴見の提唱する「内発的発展論」は、柳田民俗学、博物学者、南方熊楠が描く森羅万象の相関図(南方曼陀羅)にヒントを得、アメリカ・カナダ、中国そして日本の水俣でのフィールドワークの実感に裏づけられた思想であり理論である。それは、それぞれの地域が独自性を主張し独自の発展経路を辿る、そして、それらの多様な独自性それこそが普遍性であると言うものである。それは、欧米の普遍が人間の普遍と見る視点にたいするアンチテーゼ、異議申し立てとなっている。

 昨年度(平成17年度)「日本社会論演習」の前期テーマを「鶴見和子の日本社会論」とし、鶴見和子の方法論から日本の近・現代を考えてみた。後期授業は、たまたまその年のゼミ生が全員日本文学科の学生であったこともあり、柳田国男『明治大正史世相篇』を輪読することとした。もちろん、鶴見和子がこの書を社会変動論の書として高く評価していることを念頭に置いてのことである。
 ゼミ生は、優秀であった。自分で言うのも変だが、かなり高いレベルの演習授業を行えた。ただ、社会学部や社会学科の演習ではないので、社会学方法論的に議論を深めることはできなかった。つまり、鶴見和子の内発的発展論の是非を検討することはできなかった。

 先日、漁業関係、農業関係などの海外技術援助、技術協力に関して、政府機関、JAICA関連で何十カ国と発展途上国を訪れている友人、Tに次のようなメールを送ってみた。

「要は、私は個々の地域、文化がそれぞれの手法を活用しながら近代化をしていくという「内発的発展論」に心情としては強く惹かれるのですが、多民族国家中国の現状一つを見ても、内発的発展論はロマンチシズムであって、グローバルな経済システムは経済次元での内発的発展論を許さないような気がするのです。文化は違いますよね。むしろ内発的発展論は、ますます活性化するでしょう。」

 これに対して、長文の返信メールをくれたTの回答に次のような文章があった。

「(文化次元とは違う)産業分野であっても、「内発的発展論」は決して感傷ではありません。漁業分野では、援助の技術的課題の一つとして、地元の伝統制度の取り込みに係る失敗例や成功例が取りざたされる状況があります。ただ内発的発展にたよるだけでは、援助効率が良くないので、技術の地域化を図る条件として、どう伝統制度を活用するか、そのような視点で計画することが多いようです。」

 この回答を得て、私は内心ほっとしていた。個人的思い出も含めて、長年、社会学者鶴見和子にこだわってきたことが間違いではなかったと改めて思い直せたからであった。

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