知覚世界は「作られる」

中崎 崇志

 先月号の教員リレーエッセイに載せた三宅島旅行の話は,読んでもらえただろうか。
 今回は,その帰り道の話から始まる。

 寝ていれば三宅島に到着する行きと違って,帰りは昼過ぎに船に乗る。暇つぶしに,左舷のデッキの一番先頭に近い端まで行って海を眺めていると,船の進行方向から何かがすぱっと飛び出した。その何かに,きらきらっと太陽が反射する。
 トビウオだ。船から逃げるように飛び出して,そのまま低空飛行で飛んでいく。トビウオは群れで飛ぶような印象があったので,次々に飛び出してくるのではないかと,しばらくの間,ずっと船の進行方向の海面を見つめていた。
 結局,4,5匹しか見られず,諦めてデッキに視線を戻したとき,デッキの天井に取りつけられた照明器具がぐにゃりと歪んで見えた。船が揺れたわけでも,船酔いしたわけでもない。いったい何事?と思って,すぐにその原因に思い当たった。

 トビウオを見ようと思って海面を見ていたために,結果的に船の先端が蹴立てる波をじーっと見ることになった。つまり,右に傾いた直線が,自分から遠ざかるように視野の左上へ移動していく運動を凝視していたということである。
 それを,急に動かない対象へ視線を移したから,運動残像(知覚的残効現象)が起こって,天井が右へぎゅーっと押し込められるように歪んで見えたのだ。かなり強い残効が感じられた。こうなると,実験屋の悲しい性で,本当にそうかどうか確かめたくなってくる。自分を即席被験者にして,2分ほど海面を見つめてからデッキに視線を戻す。やっぱりぐにゃりと歪む。間違いなく残効現象だと確認。

渦巻き

 一般に知覚的残効は,凝視していた対象と反対の方向に生じる。
 図1は,回転して収縮する渦巻きと同心円。同心円を見えないように隠して,渦巻きの回転をしばらくの間凝視してから,もう一度同心円を見る。すると同心円がじわりと膨張するように感じられる。渦巻きを1分以上見ていれば体験できると思う(見え方には個人差がある)。収縮方向の運動の残効として,膨張が見えるわけだ。
 運動ばかりではなく,明るさや色の残効もある。
 子どもの頃,『影送り』をやった人はいないだろうか。あまんきみこ作の『ちいちゃんのかげおくり』という絵本にも登場する。よく晴れた日に,地面に移った自分の影をじっと見つめてから空を見上げると,空に自分の影が白く浮かんで見える。影の輪郭が際立つコンクリートやアスファルトの上でやると,よりはっきり感じられるはずだ。これは明るさの残効である。
 色の残効の代表格はマッカロー効果(McCollough Effect)である。縦縞横縞を,交互に一定以上の時間凝視し続けた後で,黒と白で描かれた縦縞と横縞を見ると,縦縞の白い部分が“緑に”見え,横縞の白い部分が“赤く”見える。12色相環上で見れば,赤と原色よりも少し濃い緑色が,互いに補色関係にあることがわかる。

 こういった知覚現象は,私たちが見ている世界が,実は,外界の物理的環境をそのまま複製したものではないということを意味している。
 例えば“錯視”とか“幾何学的錯視”と呼ばれる例がある。物理的に同じ長さの直線なのに長さが違って見えたり,平行線のはずなのに歪んで見えたりする。“存在しないもの”が見える例もあるし,私たちが勝手に“まとまり”を作って見ている場合もある。その例を2つ,図2に挙げてみた。それぞれ“カニッツァの三角形”“ハーマンの格子”と呼ばれている。
 カニッツァの三角形では,中央部分にあるはずのない白い正三角形があるように感じられる。一度三角形があると思うと,その部分がより明るく見え,さらにないはずの輪郭線までもがあるように感じられる。これは主観的輪郭線と呼ばれている。
 ハーマンの格子では,まず図の中央にある白線の交点に注目してみよう。すると,そこには何も見えないが,その周囲の交点にはぼんやりと黒っぽい点が見えるはずだ。しかし,そのまま右上の交点を注視すると,そこに見えていた点は消えてしまう。視野の周辺部分にしか成立しないのである。図の白と黒を逆転させると点は白くなるし,黒の部分を赤で描くと,点も赤っぽい色になる。これは側抑制による明暗錯視である(側抑制というのは,輪郭などの特徴を際立たせる働き,と理解してくれればよい)。

錯視

 さらに言うならば,暖色とか寒色とか言う場合は,色の物理的特徴=電磁波の周波数とは無関係に“暖かさ”を感じているし,絵画や書などを見て感想を持つときには,そこに“物理的ではない何か”さえ見ているのである。

 私たちが“知覚している”世界は,実は私たちの脳内で作られたものである。私たちを取り巻く物理環境そのままを見ているとするならば,知覚的残効も錯視現象も起こらないはずである。私たちが見ているものは,私たち自身が“組み立てて見ている”のだ。
 昔から,多くの知覚心理学者がいろいろな知覚現象の解明に挑んでいる。そして,今もその挑戦は続いている。

 まだ私が大学に入ったばかりの頃,下條信輔氏(カリフォルニア工科大学・知覚心理学者)とタナカノリユキ氏(アーティスト)のコラボレーションによる展覧会に行ったことがある。“見る”だけでなく,“体感できる”展覧会だった。
 その展覧会と少々内容は違っているが,科学技術館(東京都千代田区北の丸公園)の“FOREST:Footsteps Of Rallying Education, Science, and Technology”内に,下條氏が監修した“Illusion”というコーナーがある。そこに行けば,様々な知覚体験ができる。東京に行って時間が取れたときには,一度行ってみてはいかがだろうか。

※文中の図は、すべてクリックすると拡大できます(下の図も拡大できます)。

 

ハーマン格子の別の例

赤のハーマン格子 ちらつきのあるハーマン格子

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