人間科学の越境

益子 待也

 現代は時代の大きな変換期である。 1990 年代頃に始まったIT革命は、おそろしい勢いで進行している。私などはIT革命に完全に乗り遅れたクチで、この原稿こそパソコンで書いているが、今年になって「ワード」の勉強を始め、ようやく文章を「ワード」で打てるようになった。1年前までは、親指シフト・キーボードという今日では絶滅してしまったキー・ボードの付いた古い携帯ワープロで、OASISという、これも今日ではほとんど見かけない旧式のソフトで文章を打っていた。昨年、ある人から「先生、いまどきこんなワープロ専用機で文章を作っていたら、時代に乗り遅れてしまいますよ」と言われ、一念発起して今年から「ワード」の勉強を始めた。ローマ字入力から覚えねばならなかったので大変だったが、今では何とか「ワード」は使えるようになった。いつの間にか、パソコンは文章を作るうえでの必需品になってしまったようだ。ただし、ケータイ電話は、まだもっていない。

 近年の世界では、グローバル化といって、人やモノや情報や金が国境を越えて動き、世界がひとつになりはじめているようにみえる。しかし、その一方で、民族主義も世界で台頭しており、中国ではサッカーの日本代表が群集に取り囲まれたり、日本でも小林よしのりとかいう漫画家が盛んに国家主義を鼓舞して、若者たちの人気を博しているようだ。しかし、その反面、韓国ドラマの「冬のソナタ」は大人気で、ヨン様人気はいっこうに衰えず、イチローや松井秀喜はアメリカで大活躍しており、大相撲では、朝青龍をはじめ、黒海や琴欧州や露鵬などの外国人力士が大活躍している。今の世界が国際化に向かっているのか、それとも、民族主義の方向に向かっているのかは、今ひとつ判然としない。よくも悪くも、そのような混沌とした状態が、現代世界の姿なのであろう。

 IT革命、グローバル化、国際化、民族主義、さらには生命科学の発達や環境破壊やBSE問題など多様な問題が出現していることは、おそらく既成の学問分野にも影響を与えずにはおかないだろう。人文科学・社会科学の分野でも、お互いの越境現象が著しく展開されている。ギリシア哲学やキリスト教神学から始まり、次第に細分化されてきた近代以降の学問分野は、学際的共同を経て、再び統合化へ向かっているように思われる。

 このような意味で、いま人間文化を考えることには、意義があるように思える。とくに、文化人類学という学問分野は、時代の変革期をむかえて、大きく変わろうとしている。日本文化の研究をするのもいいだろうし、中国や韓国をはじめとするアジア諸国の研究をするのも面白いと思うし、その他、ロシア研究やアメリカ研究、カナダやオーストラリアの研究も面白いと思う。あるいは、むしろ○○学という枠組みを超えた新しい発想に基づく人間文化研究が必要とされている時代なのかもしれない。その意味では、既成の学問分野の枠組みを超えた新しい「人間文化学」を作る時期に来ているのであろう。熊でさえ、「越境」して、里に降りてきている時代なのだから。

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