心理学で「物理学」? ―精神物理学入門―

中崎 崇志

ミュラー・リヤー錯視実験 ここは心理学コラムなのに,なぜ「物理学」なの? と思われる方もいらっしゃるでしょう。しかし,現代の心理学を知る上で,精神物理学 psychophysics は決して欠かせないものの1つです。心理学は「心の機能の法則性」を明らかにしようとする学問ですが,これは精神物理学でも同じで,外界の刺激とそれがもたらす知覚内容の関係(つまり法則性)を調べます。

 1834年,エルンスト・ウェーバー(ヴェーバーとも)が、ある実験をおこないました。それは,おもりを持ち上げてみて,2つのおもりの重さがどれくらい違っていれば「違う」と答えられるのか,という実験でした。心理学の用語で書くと,「丁度可知差異(Just Noticeable Difference; JND)」あるいは「弁別閾(べんべついき)」と呼ばれるものを調べようとしたのです。その後,ウェーバーの弟子だったグスタフ・フェヒナーが「物理量」「感覚量」の関係を明らかにしようとする学問として「精神物理学」を創始します。

 ウェーバーとフェヒナーは,共に「ウェーバーの法則」,「フェヒナーの法則」という法則の名前にもなっています。いずれも「物理量と感覚量の関係」を,関数の形で表現したものです。

 精神物理学が問題にした「物理量」とは,実際にはかりや定規などの測定器を使って測る刺激量あるいは刺激強度(重さ,大きさ,長さ,明るさなど)のことで,「感覚量」とはその刺激をどれくらいの量や強度だと感じたか,ということです。

 先ほどの弁別閾は,「2つの刺激強度の違いがわかる最小の物理量の差」というように定義できます。しかし,2つの違いがわかるためには,そもそも両方の刺激が「存在している」ことがわからなくてはなりません。例えば,右の手のひらに砂粒を1つ,左の手のひらに砂粒を2つ載せられて,「さあ,どちらが重いですか」と質問されても,どちらも重さを感じることはできませんから,答えようがありません。
 そこで「刺激閾(しげきいき)」が問題になります。これは「ある刺激を知覚できる最小の物理量」と定義できます。手のひらの砂粒が増えていって,重さを感じ取れたところが刺激閾ということです。
 2つの刺激が等価だと思われる値を測定することもあります。これは「主観的等価点(Point of Subjective Equality; PSE)」と呼ばれます。私たちの大学の授業では,「心理学初級実験」という実験実習の授業でPSEを測定しています。「ミュラー・リヤ-錯視」と呼ばれる錯視図形が描かれた実験器具(写真を参照)を使い,矢羽根に挟まれた2本の直線が同じ長さに見えるように長さを調整し,PSEを求めます。写真の例では,右手に持っている側の直線を,左手側の直線と同じ長さになるまで伸ばしていきます。

 精神物理学による分析では,精神物理学的測定法と呼ばれる手続きが用いられます。先ほどのフェヒナーが「丁度可知差異法」,「当否法」,「平均誤差法」という名前で提案したものが後年の研究で発展し,現在はそれぞれ「極限法」,「恒常法」,「調整法」と呼ばれています。上記のミュラー・リヤー錯視を用いた実験では,「調整法」が用いられています。実際に実験実習をやってみるとわかりますが,3つともとても手間のかかる手続きで,測定にはかなり時間がかかります。

 もう1つ,フェヒナーよりも後になってスティーヴンスという研究者が「マグニチュード推定法」を提案しました。この手続きでは,ある基準となる刺激の感覚量(物理量ではないので注意)を10とした場合,与えられた刺激がいくつになるかを推定させます。例えば,「皆さんの自宅から最寄りのバス停までの距離を感覚量の基準(10)とした場合,皆さんの学校や職場はいくつになるでしょうか?」というような問いを出して測定をおこないます。「学校は2倍くらいだなあ」と思ったら,「20」と答えます。すぐ近所に住んでいる同級生は「30」と答えるかもしれませんが,あくまで個人の感覚の問題なので,間違いではありません。

 マグニチュード推定法は,やがて別の分野でも使われるようになりました。「心理尺度構成法」と呼ばれる分野です。例えば,ある人の「社交性」を測るために,1が「まったく社交的でない」で,5が「非常に社交的である」とする5段階の評定をおこなう,という方法です。この場合,「社交的かどうか」という感覚量は存在しますが,社交性を表現するための物理量は存在しません。
 え? 友達の人数ならどうかって? いえいえ,それは物差しにはなりません。なぜなら,1gや1mといった「誰が測っても同じになるように設定された物理量の基準」が「社交性」には存在しないからです。1mの場合は,「299,792,458分の1秒間に光が真空中を進む距離」と決められていて,これは物理的に測定することができ,国際単位系という世界共通の基準になっています。
 しかし,例えば「友達1人を社交性の1点とする」というルールは「恣意的な」あるいは「その場限りの」基準であって,世界共通の物理的基準ではありません。だから,これはマグニチュード推定法(=感覚量の測定)で求めていると言えるわけです。

 精神物理学は,現在の心理学,とりわけ感覚・知覚の分野に大きな貢献をしたばかりでなく,現在もさまざまな感覚・知覚研究の基本的な手続きとして用いられており,最近では脳科学の分野でも感覚機能の測定に用いられています。一方で,感覚・知覚とはまったく違う分野にも影響を与えています。

 最初に書いた通り,心理学は「心の機能の一般法則」を明らかにしようとする学問ですが,次回私が担当するコラムでは,「ウェーバーの法則」と「フェヒナーの法則」を通して,「心の機能の法則性」について触れてみたいと思います。

 

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