青木 美奈さん 平成10年3月卒業の金沢女子大学第8期生

青木 美奈

 学院大の皆様こんにちは。卒業生の皆様お久しぶりです。私は第8期卒業生の青木美奈と申します。今日は私の卒業後のことについてお話しようと思います。

 在学中は卒業単位を揃えることで精一杯で就職活動はしませんでした。同じクラスの皆が、スーツを着込んで、地味目のメークをし毎日クタクタになっているのをよく教室の窓から見かけました。その時すでに4年生だった私は1年生にまじって毎日楽しく?講義を受けていましたよ。(笑)卒業後は、特に目指す先も定まらぬまま「日本の中心ってどんな感じかな?」という具合に、あまり深く考えず、東京で生活を始めました。実家が宇都宮なので、UターンじゃなくてJターンになりますね。大学も卒業したことだし何か英語に関係した仕事はないかな・・・

 ありましたよ!わんさかと。レベルの差こそあれ、選び放題って感じ。さっそく御茶の水の国際電話の代理店で働き始めました。通常は、日本人しか掛けてこないのですが、回線が込み合うと外国人ユーザーからの問い合わせが紛れ込んできてしまうんですね。そんなときでも逃げずになんとか対応しているうちに、「あの娘は英語がしゃべれるんじゃないか?」と大きな誤解が生じ、新宿本社に移動になりました。

 よくドラマとか映画とかででてくる新宿西口の高層ビル群の一角、あのマクドナルド本社のすぐ上の階に配属先のオフィスがありました。あーここテレビでみたことある!このハートのオブジェの前に松嶋菜々子が立ってた!では私も!!興奮さめやまぬまま、エレベーターにのり意気揚揚、44階扉の先には・・富士山だぁ! 下を見下ろすと、なんだあのアリンコは・・ちがうちがう、車じゃん!人間じゃん! なんか霧がでてきてるなぁ・・違うってば、雲よ雲! 興奮状態のまま、オフィスの扉を開くと・・「あっ、私ニューヨークに来ちゃったのね、やっぱり人種のるつぼって本当だわ」ってなわけがない。そこには様々な国の人達が、なにやら忙しそうに働いている異空間が広がっていました。呆然としていると、奥から小走りでやってきたアジア系のボスらしき人物に挨拶もそこそこ、案内されたその先には、“English Section”の文字が・・「なんだかえらい所に来てしまったみたい・・」まるで他人ごとのように意識が遠いところに・・「あなた日本人?」突然声をかけられ振向くと、東南アジア系の女性がにっこり。これが後に大の仲良しとなるフィリピン出身のアリザとの出会いでした。とびきり明るい彼女のまわりには、自然と人が集まるわ、集まるわ。“今日は何の祭?”って感じでそれは賑やかでした。彼女を通してシンハラ語のセナニ、ポルトガル語のシーザー、ベンガル語のラブ、英語のジャッキー、スペイン語のアレックス他大勢の人達にめぐりあい、友達になりました。母国語は違えど英語を介してこんなにも多くの国の人達と意思疎通ができるんだ!英語ってなんて素晴らしいんでしょう!!心からそう思いました。そうした出会いを通し、多くの人々に助けられ、ますます英語が身近なものになっていきました。

 そうこうしているうちに、大きなチャンスがめぐってきます。旅行会社H・I・Sに採用が決まり、ロサンゼルスに赴任することになりました。L.A.では旅行業務全般、例えば、空港チェックイン・アウトのアシスト、カウンター業務、ツアーディスク、乗り継ぎアシスト、市内観光、メキシコ添乗、通訳、その他諸々なんでもやりました。国際線が天候不順などの影響でディレィしたりすると、乗り継ぎに間に合わないお客さまがたくさんでてきます。そんなときは、空港のアライバルエリアで気をもみながら待ち伏せして、見つけるやいなや呼び止め一緒にその航空会社のターミナルに猛ダッシュ!なんとか乗せたい、その一心です。どうしても間に合わない時は別の航空会社に振り替えてもらい、なんとかして送り出す。どうしても無理な時は翌日のフライトに・・そうなると今晩の宿泊先、ミールクーポンにいたるまで、航空会社負担で出してもらえるように交渉に入るわけです。遅れを出した航空会社があっさり非を認めて全額負担してくれる場合もありますが、私が担当したところはどこも、なかなか非を認めず、飛行機を降りてからパッセンジャーがのろのろして搭乗しなかったのが原因じゃないか、ゲートでアナウンスしたのに出てこなかったんだからそっちが悪い、など言いたい放題言ってきます。オーバーブックで、チケットを持っているにもかかわらず乗れないお客様に対しても、「私にガミガミ言わないで、私がオーバーブックしたわけじゃないんだから、予約係に文句言ってよ!」平気で逆ギレ。初めの頃は面食らっていましたがあまりにもそれが日常茶飯事的なのでいい加減慣れました。カウンターの人と仲良くするコツも覚え、どんな時でも冷静に対処するという訓練にもなりました。そのうち顔と名前を覚えてもらえるようになり、自分がラスベガスなんかにいく時席をアップグレードしてもらったり、なんでもないのにミールクーポンをもらったり、いい思いもたくさんしました。

 仕事以外では、時間を見つけて近所のコミュニティカレッジやダウンタウンのアダルトスクールに足繁く通いました。そこで知り合った友達とたあわいもないおしゃべりをいつまでもしたり、ハリウッドのインアンド・アウトバーガーにはよく行きましたね。何回トライしても“onion”の発音が変で、よく一緒にいった友達に直してもらったりしましたよ。家ではスペイン語、外では英語と使い分ける彼女達は、英語が間違っていても決してバカにせず何度もできるまで教えてくれました。あっという間に任期が終了し、次はハワイに行く事になっていました。ビザの切り替えのため、ひとまず実家のある栃木県宇都宮市に一時帰国後まもなくです。忘れもしない9.11。ハワイだなんて浮かれ気分も吹っ飛んで、情勢が不安定なアメリカに戻るのは得策ではないと、迷う事無く辞退しました。その後、父が主催している英会話サークルでその当時講師をしていたカナダ人のコリンを紹介されます。後にこの彼が私の婚約者になるなんて、紹介した父がいちばんビックリしています。11月には彼の故郷で挙式予定です。

 話はそれましたが、彼に出会ったのが縁で、彼の知人の英語教室で英語を教えはじめました。私にとってのビッグチャンスを手にしたわけです。それを生かすべく、頼まれれば何でも引受けていました。例えば、急な代替、非常勤、冬・夏期講習、サマースクール、ついには教室担任。初めの頃は英語を教えるだけでは食べていけず、深夜の弁当工場や、早朝スーパーのお肉屋さんの値段付けなんかも内緒でやっていましたよ!(笑)その甲斐あってか現在「Mina’s English」という英語・英会話教室を経営しております。頑張っているといいことってあるものですよ。私自身、英語と出会ったことで世界がひろがりました。何でも嫌がらずに興味をもってやってみる。その、前にでる姿勢が大切なんだと思います。もう一つは人との出逢い。一瞬の出逢いがその後の人生を大きく左右することってあるのです。今、将来が心配で不安でしかたのない方は、まずは目の前の事からやってみるといいと思います。今、目の前にある事ができなくて、その先のことが明日できるわけがない。そう思いませんか?

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