木梨 由利

モンサンミシェルと牛の群れ この夏、お盆休みを利用してイギリスとフランスに旅行した。とはいっても、往復に費やす時間を差し引けば、残りは4日と少々という駆け足旅行である。世界遺産であり日本人にも人気の高いモンサンミシェルは別として、かつて訪れた時以上のものを見られるだろうという期待は、正直なところ、あまりしていなかった。
 しかし、大好きなロンドンの町で胸踊る思いがしたのは当然としても、フランスでも、かつての印象を覆すような思いがけない経験をした。その経験は、過去の事件をも改めて蘇らせ、ある大きな感慨に導いてくれた。

 初めてフランスを訪れたのは、日本での大学院課程を修了し、ロンドンに滞在中の春であった。長いイースターの休みをいささか持て余していた時に、友人に勧められて、英語のガイドブックを片手に、一人ドーヴァー海峡を渡ったのであった。
 パリの街を歩き回りながら、「フランス人はプライドが高く、英語で質問されても、フランス語でしか答えてくれない」というのは、単なる噂ではなく本当のことだ、と実感したけれど、書かれたフランス語なら少しは読めたし、ミシュランのガイドブックは完璧だったから、どこへ行くにも特に困ることはなかった。
 パリで丸一週間を費やし、その後、マルセイユに住んでいた知人のお宅にお邪魔して、心のこもったもてなしと、南仏の風景を堪能した。まだ寒さの残るパリとは異なって、ブドウ畑に注ぐ陽の光はすでに明るく柔らかく、ここが印象派の画家たちに愛されたことが自然に納得できた。

 事件が起きたのはその後だった。パリに戻る特急電車の中で車掌が検札に回ってきたとき、私は10日の旅の甘美な思い出にふけっていた。深く考えることもなく、手探りでポケットから出して渡した切符を見て、車掌は恐ろしい形相で何かわめき出したのである。フランス語なので細かいことはわからないが、何か不正をしているとして、私をとがめているように思われる。身に覚えはないので、こちらも英語で怒鳴り返し、問題があるというのなら、パリに着いてから話し合おうと繰り返すが、埒が明かない。そのうち、隣の座席の人が見かねて通訳に入ってくれた。私の切符をちょっと見て、「これはパリからの切符だ」というのである。その瞬間、自分が間違いをしたことが理解できた。フランスでは、日本と違って、出札の際に使用済みの切符を回収しない。したがって、私のポケットにはパリとマルセイユ間の往復の切符がそれぞれ入っていて、私はうっかり往路の切符を見せてしまったのである。その後正しい切符を見せ直して事なきを得たが、この事件は、苦味を伴う思い出の一つとなった。

 さて、今回、「パリで英会話は成立しない」ことは十分理解はしながら、両替くらいなら問題なかろう、と街中(まちなか)の両替所で、トラベラーズ・チェック(以下TCと表記)の換金を英語で依頼した。案に相違して、窓口の若い男性は、かつての意地悪そうな銀行員とは異なって、まず、私が話せる言語の確認をしてくれた。ところが、TCを見るなり難しい顔をして、「これはどこで入手したのか」と尋ねるのである。「何か問題があるのか」と尋ね返すと、「あるべき数字が印字されていない」という。確かに現在流通しているというTCと比べると大きさも違うし、数字も足りない。このTCは、EU諸国での通貨がユーロに切り替わってしばらく経った2002年夏、ドイツ旅行に備えて、金沢市内の銀行の勧めで購入したものの、実際は現地ではまだユーロが流通していず、一枚も使用することなく持ち帰ったものであった。そういう背景を英語で説明すると、本物だと納得したようではあったが、いろいろと調べ出した。冊子をめくったり、パソコンに向かったり、電話をかけようとしたりしている。あまり長い時間がかかるので、私の方が気の毒になって、「面倒なら、今換えられなくても困らないから」と何度か申し出たが、その度に「大丈夫」との答えが返ってくる。アメリカにかけた電話がうまく通じなかったときには、私に向かって、“Sorry, my English is not enough”(「私の英語がまずくて申し訳ない」)とまで申し訳なさそうに言うのである。フランス人がここまで言うのか、と正直大いに驚き、また、「不得意な英語を使わせているのは私なのに……」とこちらも恐縮してしまった。それでもついに問題は解決し、私が「問題の」TCを他にも持っているのを見て取って、全部換金しようか、と尋ねてくれた。「ご親切は忘れない」とお礼を言うと、魅力的な笑顔を返してくれた。

 今回、両替所の男性のほかにも、多くの人々の英語を聞いた。フランス語のメニューしか備えていないレストランでは、一生懸命料理の素材や調理法を英語で説明してくれようとしたし、サーヴィスの合間に、“Good?”と微笑みながら尋ねてきたりもした。
 オペラ座界隈から、ノートルダム寺院へ、そして、その後サンラザール駅近くのホテルまで運んでくれたタクシーの運転手の女性は、限られた時間の中でも、私たちが最大限に風景を楽しんだり写真をとったりできるように配慮してくれた。

 「フランス人のプライドが高いのは、食糧を100%自給できるからだ」と、モンサンミシェルに向かうバスの中でガイドさんが教えてくれた。広々とした草原で牛や羊が草を食む様子を眺めて納得すると同時に、アルフォンス・ドーデ(1840-97)の「最後の授業」という短編小説を思い出した。舞台は普仏戦争(1870−71)で敗北し、プロイセンの支配下に置かれることになったアルザス地方である。フランス語の授業も今回限りという時に、先生は子供たちに、「たとい、奴隷の身に落ちようとも自分の言葉さえしっかり保っていれば、その民族は牢獄のかぎを握っているのにひとしい」と説く。隣国と陸地で接し、熾烈な戦争の歴史を持つヨーロッパの国々にとって、食糧の自給はもちろん、母国語の保持も、国家や国民のアイデンティティを守ることと切り離すことのできない重要な問題なのであろう。

 しかし、今回英語で接してくれた人々は、フランス語に執着しないことによってプライドを捨てたようには決して見えなかった。観光収入のために観光客は大事にせねば、という意識ももちろん背後にあるだろう。しかし、そのような現実的な思惑を差し引いても、大勢の人が、ごくごく自然にもてなしの心を見せてくれたように思う。自国のものでない言語を使うことを卑屈と考えるのではなく、その言語を用いることでより良いコミュニケーションが成り立つのであれば、喜んで譲歩し、時には自ら努力もし、遠来の客と心を通わせようとする。その上で、自分たちにはこんな文化があるのですよ、と誇らしげに紹介してくれる――それが、あるべき形の異文化交流であり、グローバリゼイションというものではないのだろうか。短い期間なのに、思いがけない発見や、考えさせられたことも多い今回の旅であった。

 

オペラ座から見たパリ市街

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