泉鏡花の翻訳

リック・ブローダウェイ(訳:中崎 崇志・小原 金平)

 数年前,小原教授が,私に100年前の泉鏡花の戯曲『夜叉ヶ池』を一緒に翻訳しませんか,と持ちかけてこられました。「もちろんですよ」。私の返事はシンプルでした。そして,それが日本語を学び,そしてほとんどのアメリカ人が経験したことがないような経験をする機会になりました。大抵のアメリカ人と同様,私は泉鏡花について聞いたことがありませんでしたし,彼がどんな作品を書いたのかも知りませんでした。

 まったく偶然にも,当時の私の家主だったナガエ・テルヨさんから,鏡花の最も有名な作品『高野聖 The Saint of Mt. Koya 』の英訳書を頂きました。ナガエさんは,アメリカの鏡花研究の第一人者であるチャールズ・イノウエ教授が,鏡花の一生についてまとめた本 “The Similitude of Blossoms ”を執筆するための研究をする間,空いていた彼女の別宅に受け入れました。彼女はまた,イノウエ教授の英訳書の出版にも一役買い,その英訳書の中の一冊を私にくれたのです。さらによかったのは,私が,鏡花を英語圏に紹介する仕事がたくさんおこなわれている家に住んでいたことでした。すばらしいタイミングだったとしか言いようがありません。運命の仕業だったのでしょう。

 座ってその本を読んでいるときの光景が思い浮かびます。金沢には珍しいよく晴れた日でした。私は,古い隣家の桜の木と瓦屋根を臨む日本家屋の縁側に座っていました。それは典型的な日本の経験でした。私は鏡花の世界に没頭しました。その物語がとても気に入ったのです。それまでに読んだ作品のどれともまったく違っていました。視覚的に訴えかけ,空想的で,そして少し気味の悪い話でした。私はとても興奮して,小原教授との『夜叉ヶ池』の翻訳作業を始めたくてたまらなくなりました。

 私たちの翻訳の最初の作業は,その興奮を冷ますような経験でした。鏡花が書いた日本語は,私が知っている日本語とまったく違っていたのです。古い日本語の文体で,風変わりで,そして私がそれまでに見たこともない漢字が使われていて,ほとんど読めませんでした。小原教授は,忍耐強く原文を英語で説明してくださり,そして私はそれを一文一文英語に直そうとしました。進行はとても遅かったのですが,注意深い数ヶ月の翻訳作業の後,私たちは最初の場面ぐらいは翻訳し終わりました。しかし,その翻訳を読んでみると,とてもひどいものでした。物語は欠陥と矛盾だらけで,登場人物は平板で面白味がなく見えてしまい,会話は堅苦しく不自然,そしてユーモアは明らかに面白くありません。どこで間違ったのだろう? 物語の解釈を間違ったのだろうか? 登場人物を理解しそこなったのだろうか? 何が足りないのだろう? この仕事は,私が考えていたよりも困難なものになっていきました。あるとき私は,鏡花の名声は大げさに言われているだけだという決めつけさえしてしまったほどです。私に言わせれば,これは文学ではなかったのです。私はまったく理解していませんでした。

 そしてそれが,自分主導で行こうと決心したときでした。私は,英語の解釈をより大胆にしようと決めました。創造の自由が呼び起こされて,私は登場人物に命を吹き込みました。これできっと物語を上手く進められる! 私は最初のいくつかの場面をほとんどすべて書き直し,混沌から脱して,ついに意味のある文章を練り上げました! とにかく私にとってはそうだったのです。そのときの気分のよかったこと! しかし,それは長続きしませんでした。私の解釈の方法そのものはクレバーでしたが,それは鏡花のものではありませんでした。翻訳は,力まかせの仕事ではなく洗練された作業なのです。

 そして確信しました。自分自身の目を訂正するまでもなく,鏡花は素晴らしい芸術家に違いありませんでした。寛大な心で,問題は単に私が彼の芸術を理解しなかったことにあると信じるしかなかったのです。もし,このまま翻訳の作業を続けるのなら,私は鏡花が考えていたことを理解しなければならない。彼の心の中へ入り込んでいこうとしなければならない。そこで,私は鏡花を理解する人との話し合いを始めました。秋山稔教授(金沢学院大学文学部日本文学科)の巧妙な助言は,大変貴重でした。そして私は,見つけられる限りの鏡花について書かれたものを読み始めました。イノウエ教授の英語のエッセイや本は,最も役に立ちました。ゆっくりとではありましたが,ヴェールが上がっていきました。私たちは,ねばり強く翻訳作業を続け,ついに下書きを完成させました。

 一方,コーディ・ポールトン教授(カナダ・ビクトリア大学)が,『夜叉ヶ池』の翻訳を終え,“Demon Pond ”という題で,鏡花の他のいくつかの戯曲と一緒に本にして出版しました。正直に言って,私は『夜叉ヶ池』の初の英訳書の出版で彼に先を越されてがっかりしましたが,それを横へ置いておき,私たちの翻訳の加筆訂正を終わらせることにして,ポールトン教授の翻訳に影響されないように,敢えてそれを無視しました。結局はそれを読んだのですが,そのとき私たちは大変驚きました! 同じ物語の翻訳が,まったく違うものになっていたのです。しかし,それは翻訳というものの性質です。翻訳者は,対象の作品に自身の感性や解釈、そして嗜好を持ち込むのです。翻訳が二つ以上あるのがいいのは,そういう理由からです。私たちは,ポールトン教授の翻訳を無視し続けるよりは,私たちの解釈を再評価し,そして彼が正しく私たちが誤っていると認めたときは,積み重ねられた知識から読者が利益を得られるように,私たちの文章を変えることにしました。しかし,それでも翻訳には違いが残っており,それを反映しているのが,私たちが付けた題が “Demon Pond ”ではなく,“Demon Lake ”であるという事実です。

 私は今,鏡花のファンになって幸せです。彼の作品を純粋に評価するには数年かかりましたが,私は率直に皆さんに鏡花を読むように勧めることができます。この本はバイリンガルですから,英語を,あるいは日本語を学ぶのに役立つでしょう。どうぞ楽しんでください!

・英語の原稿はこちらです。

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