「ミクシ?(Miksi?)」の大切さ

中島 彰史

 このコーナーで何を書こうかと考えていた時、高校での必修科目の未履修問題が発覚した。それも全国でかなりの数の高校が指導要領を逸脱したカリキュラムを組んでいたようだ。こうなった要因が様々挙げられているが、そのうちの一つに「世界史は範囲が広すぎて、受験には不利だから、(必修科目にもかかわらず)他の科目に振り替えた」というものがあった。私が高校生の頃は(かなり前のことだが)、何より世界史が日本史や地理より面白かった(日本史や地理の先生ごめんなさい)。確かに覚えることが多かったが、いろんな地域でいろんなドラマが繰り広げられているのが分かったからだ。

 冒頭から少し重たい雰囲気になってしまったが、そんな中、本屋で偶然『図解 フィンランド・メソッド入門』(著者 北川達夫 フィンランド・メソッド普及会、経済界発行、2006)が目にとまった。フィンランドの教育と言えば、何かの国際統一テスト(その本を読んで、OECDによる学習到達度調査での読解部門であることが分かった)で世界一になった国だな、というぐらいの認識だったから、実際にはどんな教育をしているのか興味を持って読んだ。

 本には、フィンランドの国語の教科書で採用されている方法や教育現場での手法を、五つのメソッド、「発想力」「論理力」「表現力」「批判的思考力」「コミュニケーション力」という観点からの分析が書かれている。詳細はその本に譲るとして、日本の教育に不足しているのではないかということで興味深かった点を挙げると以下の事柄である。

  • ミクシ(Miksi)?<どうして?>攻撃
  • グローバルコミュニケーションでの「相手の立場になって考える」
  • 作文に対して、いい所と悪い所を10個ずつ挙げていく

 「ミクシ(Miksi)?<どうして?>攻撃」とは、ある生徒が意見または感想を言ったら、「どうしてそう思ったの?どうしてそう感じたの?」と先生が即座に聞き返すというもの。当然そこでは、自分の意見や感想に対する理由付けや論理が求められることになる。ここで大切なことは、論理を正しく説明できるということではなくて、論理を考えるプロセス。「ミクシ(Miksi)?<どうして?>」をしないと、物事を短絡的に考えて反射的に答えてしまう習慣を身につけてしまうからだ。人の意見や感想そのものが正しいかどうかなんて分からない。その論理や理由付けとの関係が問われるべきもの。学生のレポートを読んでいると、自分の主張はするがその根拠が何も書かれていないことが多い。私は語学の教師だが、授業では、言葉の基本である「形式」と「意味」との結びつきに意識してもらいたいがために(日本語に訳すことができるようになって欲しいからではなく)、「何故」という質問をする。例えば、「何故、ここでas … as 〜という同等比較の構文という形式を使っているのか」とか「put up withという形式は<我慢する>という意味だが、何故、putという動詞が用いられて<我慢する>という意味になるのか、upやwithが用いられているのは何故?」などである。世の中にはいろんな考え方を持つ人たちがいる。その人たちと真にコミュニケーションを図るには、自分の意見と共にその根拠を明確に持つことが必要だ。

 「相手の立場になって考える」。よく聞かれる言葉だ。この場合の「相手の立場」とは、「相手の気持ち」という感情面のことではなくて、「相手の主張の理論構成」ということである。つまり、「相手の立場になって考える」とは、自分の本心どおりの理論構成は一先ず置いておいて、相手の意見に従った理論構成をする、ということ。自分の本心とは異なる理論や根拠を考えるのはそう簡単なことではないので、本気で「相手の立場を考える」ことになる。このことから、どんな意見であっても最初から「正しくない」と言って否定することの手軽さと危うさが明らかになってくる。教師をしていると、学生の意見に対して即座に「ダメ、間違っている」と反応してしまう時があるので、自戒しなければと思う。

 「作文に対して、いい所と悪い所を10個ずつ挙げていく」。まず、班で、あるテーマに関しての作文を書く。そこでその作文のいい所と悪い所を班員が10個ずつ挙げていき、悪い所を改善しながら、書き直していく。次に、別の班の人にもいい所と悪い所を10個ずつ挙げてもらい、また、書き直していく。この作業を繰り返す。ここでのポイントは、いくら表現を尽くしても、悪い所は必ず見つかるものだ、という所。つまり、「本当にこれでいいのかな?」「ほんとうにそうかな?」という思考力を養うこと。誰にでも(自分では自覚してはいない)思い込みがあるというもの。それを補うために、「本当にこれでいいのかな?」という考え方が必要になってくる。

 以上、自己反省の意味も込めて、皆さんにとってお役に立てばと思われることを書いてきた。フィンランドの教育がベストなものかどうか門外漢なので分からないが、少なくとも、日本の教育を見ていると、何の検証もなしに、これまでのことを全否定したり、新たなことを開始しようとしたりしている感がある。確固たる具体的方法論に裏打ちされていないものは早晩再び消えていくかもしれない。(このエッセイの悪い所を挙げてみてください。いい所もあればお願いします。)

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