島に旅をする

中崎 崇志

三宅島 九月上旬,とある島へ旅行した。
 伊豆七島の一つ,三宅島。総面積55平方キロ,周囲約38キロの,ほぼ円形の島である。島の中央には雄山(おやま)がそびえる。住所は東京都三宅島三宅村,になる。
 ここに,妹が住んでいる。その妹を訪ねて行った(妹も私も島の出身ではない)。

 御存じの通り,三宅島では,2000(平成12)年6月末から地震活動が始まり,同年7月8日に雄山が噴火。同年9月,全島に避難指示が出された。噴火は9月まで続き,その後は山頂の火口から火山ガス(特に二酸化硫黄)の放出が続いている。
 徐々に火山ガスの放出量は減少し,今年2月,避難指示が解除されて帰島が始まった。島内の移動にはガスマスクを携行しなければならないが,5月からは観光客の受け入れも始まっている。

 三宅島空港は閉鎖されたままなので,島へ渡るには,竹芝桟橋から出るフェリーに乗る。竹芝〜三宅島〜御蔵島〜八丈島を結ぶ航路である。
 22時30分に竹芝を出たフェリーは,東京湾を南下し,三宅島には翌朝5時に着く。
 船旅は久しぶりだ。出航後しばらくは,東京湾の夜景を見ることができる。羽田沖を過ぎてしばらくすると,消灯時間。あらかじめ妹に教えてもらって,寝台列車のような二段の寝台をしつらえた特二等という船室を予約した。寝台は1室に12床,コの字型に二段寝台が並んでいる。隅の寝台の上段が私の場所。船の進行方向に対して直角に寝る格好になるため,ピッチング(縦揺れ)に身体が左右に揺さぶられる。
 三宅島到着の30分前,アナウンスが入って起こされた。三宅島で降りる乗客はBデッキ中央の降船口に集合。島に帰る島民や旅行客,発泡スチロールの箱に餌を詰め,準備万端の釣り客もいる。三宅島は,大物を狙うには格好の釣り場だ。
 錆ヶ浜港に頭から入った船は,回れ右をしてから接岸。船を降りて他の乗客と一緒に桟橋を歩いていくと,妹とその夫が出迎えてくれた。今回は,夫の実家の民宿に泊めてもらう。

 桟橋に降りて,潮の香りはするのに,硫黄の臭いはまったくしないことに気づいた。妹に訊ねると『そんなに臭いがきついことなんて,滅多にない』という答えだった。
 竹芝でさかんに『ガスマスクの携行が〜』とアナウンスしていた。ガスマスクは妹に借りることにしていたので買ってこなかったが,とりあえず今日一日は不要なようだ。

 民宿に荷物を置いて一休み。朝食を済ませると,妹がすぐに出かけると言う。車を飛ばして坪田地区に向かう途中,阿古高濃度地区という,二酸化硫黄濃度が高まりやすい立ち入り規制区域を通過する。緑は戻っているが,立ち枯れた木はそのままだ。白茶けた幹が何本も並んでいる。しかし,硫黄臭はしない。
 目的地は,坪田にあるダイビングショップを経営しているペンション。ここでは,隣の御蔵島の周囲でドルフィンスイミングをする船を出してくれる。船と言ってもこちらは漁船だ。ドルフィンスイミングは,スキューバダイビングと違って,ボンベやレギュレータは使わず,シュノーケルとフィン,ウェットスーツでできる。
 船は快調に御蔵島へ。漁船だから揺れることは揺れるが,海は穏やかな凪で,船酔いはせず。
 船からイルカを見つけると,ガイドを先頭に海に入る。水深はざっと5メートル。最後に選んだポイントでは,本当に手が届きそうなところまでイルカが近寄ってきた。子ども連れの母イルカは,自分のお腹の下に子イルカをかばうように泳いでいる。4頭あまりの群れが二つ,ずっと私たちのまわりを行ったり来たりしていた。生まれて初めて着たウェットスーツのせいで泳ぎも潜水もままならなかった(勝手に浮いてしまうのだ)が,それでも十分すぎるほど楽しめた。これでもっと底まで潜れれば,もっと楽しいのに。

溶岩に埋まった旧阿古小中学校
 海を堪能して三宅島に戻ったのが,昼少し前。民宿も妹夫婦の家も錆ヶ浜港と同じ阿古地区にあるので,もう一度妹の運転で阿古に戻る。
 阿古地区には,1983(昭和58)年10月の雄山の噴火で流れ出た溶岩が押し寄せた。民宿から北へ200メートルほど行くと,そのときの溶岩がまだ黒々とむき出しになったままの場所がある。溶岩の上に土が堆積すれば植生が蘇るのだろうが,なかなかそうはいかないようだ。その一画に,旧阿古小中学校がある。ここは,当時の噴火で校舎も体育館も溶岩にのまれた。鉄筋コンクリート建ての校舎が,溶岩流をせき止めたのである。体育館の屋根の鉄筋がねじ曲がったまま錆びている。
 阿古高濃度地区にある新澪池(しんりょういけ)跡も,元は池だったところにこのときの噴火でマグマが地下に入ってきて地下水と接触し,水蒸気爆発を起こして,池が吹き飛んだのだそうだ。
 阿古から雄山を見上げると黒い帯状の筋が下がっている。溶岩が森を焼いた跡だ。まさに自然の脅威である。

 昼食を済ませ,妹に頼まれた用事を片づけてから,4時前に,朝船が着いた錆ヶ浜港へ。今度は釣りだ。
 岸壁から糸を垂れ,狙うはムロアジ……だったのだが,ムロアジはかからず,やがてサバが入れ食いになり始めた。インストラクターをしてくれる妹の夫が,サバはリリースしてください,と言う(今日は料理しないから,ということらしい)ので,残念ながら自分で釣った魚を食べる,というのはできずじまい。いずれリベンジといこう。
 沖の方に,小さな岩山が三つ並んだのが見える。三本岳(大野原島)で,彼が大物釣りのポイントだと教えてくれた。

 夕食は,民宿の御家族に混じってとる。
 妹の義父は船を持つ現役の漁師。この人が作ってくれたカツオの料理の美味いこと! 釣りたての新鮮な魚ならではの料理だ。

 翌日は月曜で,妹は出勤。
 お昼休みを利用して見送りに来てくれるというので,午前中は妹の夫に頼んで,島をぐるっと案内してもらう。阿古を出て,反時計回りに三宅一周道路を進む。
 昨日見た阿古の溶岩原では,彼がそのときの避難の様子を教えてくれた。彼は元々阿古の生まれで,まだよく憶えているそうだ。
 坪田地区のすぐ北は,高濃度地区となっている。坪田地区と坪田高濃度地区の境に三宅島空港がある。そこから海沿いに丘を一越えると三池集落。ここにもフェリーの桟橋がある。船は,錆ヶ浜か三池のいずれかに着く。今年2月の帰島第一陣は三池港に着いた。三池集落そのものは高濃度地区内にあるため居住できない。被害も相当甚大だ。火山ガスによって立ち枯れた木やぼろぼろになったトタン屋根に車。後で調べてみたら,シロアリ被害もひどいらしい。
 道路沿いの建物の壁に『もうがんばれない! 三池SOS』の文字が見えた。
 昨日,ドルフィンスイミングをやったペンションから坪田の漁港へ移動するときに見たのだが,ペンションのすぐそばの,今は使われていない中学校のグランドには,粗大ゴミが山と積まれていて,それを重機でコンテナに詰める作業をしていた。島外へ搬出して処分するらしい。

 それもこれも島に住む人たちの現実だ。
 現在,島の人口は約2000人。全島避難前の人口は約3800人だったそうだ。いろいろな事情で帰島しない人もいるし,避難指示が解除される前に亡くなった人も199人いるという。
 でも,私が会った島の人たちは,みんな元気だった。
 案内してくれながら島のことをあれこれと教えてくれた妹の夫も,本当に島に愛着を持っていることがよくわかった。そしてそれは彼ばかりではあるまい。この愛着が島を蘇らせたいと願う原動力なのだろう。
 世間では,火山ガスが,ガスマスク携行が,とそういったことばかりが取り沙汰される。しかし,私が滞在した一日半の間,一度も硫黄臭は感じなかった。もちろん,ひどい日もあるのだろうが,そういう日ばかりではないということだ。わずか一日半の滞在ではあったけれど,自分の肌で島を感じて,自分の目で島の様子を見て,そういった不安を感じさせる面ばかりがクローズアップされることに,いささか疑問を持った。
 『不安もないし,被害も起こるはずがない』と言ったらうそになる。だが,報道だけを信じて忌避するのは,本当にもったいないことだと思う。

 今,三宅島ではエコツアーを観光の目玉にしようとしている。ダイビングだけでなく,バードウォッチングもさかんだ。伊豆諸島と鹿児島のトカラ列島にのみ生息する日本固有種で,三宅村の鳥でもあるアカコッコや,イイジマムシクイ,カラスバト(いずれも国の天然記念物)など,様々な鳥が観察できる。坪田にあるアカコッコ館に行ったのだが,あいにく月曜で休館だった。こちらもいずれ再訪することにしよう。
 動物心理学の研究をしていた私としては,これら貴重な鳥の生態には大いに興味をそそられる。さすがに捕まえて実験,というわけにはいかないけれど。

 みやけエコネット

 帰りのフェリーが桟橋を離れ,島の姿が徐々に小さくなっていく。
 これから自分はここに何回来られるだろうか,と期待しながら,雄山の火口から立ち上る水蒸気を見ていた。

 書きたいことはまだまだたくさんあるのだけれど,今回はこのへんで。

※文中の写真は,クリックすると拡大できます。

Comments are closed.