子どもを取り巻く環境・子どもの本

水井 雅子

 子どもが本を読まなくなったと言われるようになってから、随分たつように思われる。もちろん、原因は複合的に存在している。

 楽しみでなければ、誰も本は読まないだろう。かつて、本は子どもにとって、大きな楽しみだった。でも、20年程前にテレビゲーム(いわゆるファミコン)が子どもの遊びの世界に登場してから、子どもを取り巻く文化自体が大きく様変わりしたのだ。特に、クエストものと呼ばれるファンタジー冒険ものは、よくも悪くも画期的だった。何しろ幼稚園児からして、夢中になったのである。幼い子には難しいと思われるような複雑な世界構造(しかし驚くなかれ、彼らはかなり理解している)の中で、自分と重ね合わせることができるキャラクターの主人公が大冒険を繰り広げる。しかも筋自体は分かりやすく、時に幼稚でさえある。大雑把に言えば、とにかく宝を探し、悪者(や怪物)をやっつけ、旅の最後に姫を救い出すという、欲と戦いとロマン(どうです?分り易いでしょう?)とを掛け合わせた単純な筋立てなのである。一方、アイテムと呼ばれる、「宝」のヴァリエーションは目を見張る程多彩である。中には、命が増えるアイテム(!)さえある。ロール・プレイイング・ゲームという、読者(遊ぶ側)参加型のゲームには、子どもも大人も引き付けられ、多くの時間を割くようになる。本を読む時間は、思いっきり、少なくなったのだった。

 テレビに次々と登場したアニメも、長編・短編、共に大きな役割を果たしてくれた。色鮮やかな映像が次々と現れて、文字で読んだだけでは掴みにくい世界の構造や主人公の様子が、手にとるように分かる。何もかもを噛み砕いて、作り手の色に直してから与えてくれるので、読者(見る側)は考えなくても良くなった。小さな黒い活字を読むことによってイメージを作りあげる、という面倒な作業をしなくても良いのだから、らく〜に楽しめるわけである。しかも、大人が、子どもに気に入られようと力を込めて作った極彩色の鮮やかな世界が、子どもの少ない経験や想像力を凌駕しないわけがないのだ。子どもがテレビにくぎ付けになるのを誰が責められようか(大人だって、テレビの前から動かないのに)。子どもが本を読む時間は、またしても削られていく。

 さらに、生存競争に勝つべく強要される「お勉強」と「塾・習い事」の時間の多さが、子どもの自由な時間を奪っているのは、周知の事実である。なるほど、確かに子どもは「本なんか」読んではいられないのだ。外で遊ぶ時間もないし、友達と遊ぶのだって電話で「予約」しなければならない、というのに・・・

 どうやら、責められるべきは子どもではなく、やはり本を提供する大人にあるとは言えないだろうか。幼いうちから絵本を見せて、本好きな子どもにすることももちろん大切だろう。親と同じものを楽しむことほど幼子を喜ばせることはないのに、特に知育的な分野ではそういうこと自体がそうそうはないのだから、この働きは大きい。しかしこれは、親だけに課せられる問題でもなさそうに思われる。『ハリー・ポッター』があれほどの長編にも関わらず、世界中でベストセラーを続けている、しかもそれまで余り本を読んだことにない子どもたちまで夢中にさせている、という事実が示しているものは何だろう。やはり、面白い物語は読まれる、という基本的な原則である。作家は子どもに媚びる必要はないが、やはり、現代に生きる子どもたちが面白いと思う作品を書くべきだし、本を読ませたいなら、そのような本を発掘するべきなのだ。ましてや、ベストセラーになった作品が映画化されることによって(例えば「ハリー・ポッター」)、また、その筋の古典的作品が映画化されることによって(例えば「ロード・オブ・ザ・リングズ」)、ここでもまた、本を読まなくても話題についていける「らくな」状況を作り出し、ますます本は「読まなくてもすむもの」になってきているのだから。

 子どもには、やらなければならないことが格段に増えてきている。娯楽も以前と比較にならないほど、多様になってきている。自由な時間が少ない中で、様々な娯楽の洪水の中で、それでもやはり、子どもには本を読んでもらいたい。本の楽しみを知ってほしい。なぜか?<
 なぜなら、本は、読者の都合で立ち止まることができるからである。本は、もう一度、前のページを繰って読み直すことができる。途中で止めておこうと、読み手次第だし、どこへでも持っていける。好きなときに読み始めることができる。何度でも楽しむことができる。そして、どれほど考える時間を取ろうとも、本は待っていてくれる。本を相手にするときは、自分のペースで進むことができる。考えることも、楽しむことも、全てが子ども一人一人のペースに合わせることができるからである。

 そして、本を読んで楽しむためには灰色の脳細胞を使わなければならないからである。あの小さい黒い記号の羅列が、如何に大きな世界の、如何にすごい内容を伝えているのか、考えなければならず、想像力を飛翔させなければならないけれど、でも、良い本にはそうするだけの価値がある。それに成功したときは、限りなく豊かな楽しみを味わえるからである。本は、読む子どもに合わせて、考える力を養い、心を豊かにし、しかも楽しい時間を与えてくれる。だから読んでほしいのである。

Comments are closed.