川畑 松晴

  • To promote and improve Cambodians’ rights and benefits.
    カンボジア人の権利と利益の向上促進
  • To develop Democracy and Human Rights.
    民主主義、人権の向上
  • To cooperate and joint with the world interests.
    世界の主要な動きとの協力・協同

 このような、雄雄しい目標を掲げ、自分たちの持っているリソースによって地道に自立自助の活動をしている若者のグループがカンボジアにある。そのリーダーがムーニーである。このグループ(今風にいうならばNGO)ASA(The Cambodian Association for SAving the poor)のパンフレットの一部をもっと紹介しよう。(パンフレットはカンボジアの言語であるクメール語と英語で書かれている。日本語は私の訳。ASAは現地語では「助ける」という意味だそうだ。)

 彼等は自分たちの願いを次のようにまとめている。

We (human beings)   私たち(人間)は
- wish   願い
- want   求め
- need   要求し
- hope   希望します
in Cambodia   カンボジアで
- that Children go to school!   子どもは就学し
- that Adults go to work!   大人は就労し
- and that Criminals go to jail!   そして 犯罪者は罰せられることを!

 彼等は特別なことを求めているわけではない。私たち日本人の目からは、普通の、当たり前のことを願っているように見えるが、あの国の現実はそうではないのである。そして、政府や地域の行政に頼ってもほとんど無駄である。この青年たちはそのことを良く知っている。パンフレットの第6項目に先に私が触れたことが箇条書きにされている。

Philosophy: 基本的考え方

  • Start from you and help yourselves.
    自ら行動し、自助努力を惜しまない
  • Use your own resources to develop
    自ら持っているものを利用して向上をめざす
  • Work and build our future together
    共に働き、共に未来をつくる

 ムーニーから、この活動のことを熱っぽく語られた時、私はとても新鮮な感動を覚えた。このような生硬な言葉で現状分析をし、未来を語る人間に久しく会っていなかった。私が20代、30代の頃、昭和60年〜70年代には彼のような青い/熱っぽい議論をした記憶がかすかに残ってはいるが。

 彼は言葉だけではなく、行動力に冨み、また現実を熟知した実務家でもある。ここ数年間の彼の事業の着実な拡大・深化がそれを物語っている。ロマンチシズムとリアリズムを兼備していると言おうか、「カンボジアの坂本竜馬?」と私はやや過大(?)に彼を評価しているのだが、そんな彼との付き合いは2002年9月、まったくの偶然から始った。 

 場所は世界遺産にも指定されている観光地、アンコール寺院遺跡群のあるシエムレアップ市。私は以前から関わっている石川県ユネスコ協会青年部のスタディツアーに同行し、ベトナムでの活動を終え、次の目的であるユネスコ支援の「識字教室」を訪問するためにここに来ていた。到着後、すぐに、金沢市内の小学校などで集めてもらった文房具等を持参して2箇所を訪問。その恵まれない状況は実感できたが、そして、ユネスコの支援があと1年で切れるのでなんとか継続してほしいと訴えられたが、それは私の力では及ばないこと。金銭的支援以外に何ができるかわからないまま、ベトナムとはさらに劣悪なこの国の状況に途方にくれながら、学生たちとホテルに帰る。時刻は午後4時。そこで、まだまだ暑く、気温も30℃を超えているのに、私は市の郊外へジョグ。走るのは泳ぎと共に私の趣味であり健康法(お酒を旨く飲むための?)でもある。

 市内を流れる幅20m弱のシェムレアップ川の辺をゆっくりとあたりを眺めながら走る。立派なホテルの裏手に、本当に「掘建て小屋」のような家が川に沿って並んでいる。急速に拡大する観光都市の、豊かな外国人観光客と貧しい現地人のコントラスト...。20分も走った頃、大きなお寺(仏教)が見えて来た。カンボジアは10年くらい前に一度来ており、その時法要のような儀式に参加したことがあるがそれ以来のお寺だ。大きな門が空いていて、自由に入れるようになっている。門をくぐり広い境内をとぼとぼとジョグ。濃い黄色の袈裟をまとった若いお坊さんが数名珍しそうにこちらを見ている。その中の1人、普通のTシャツを来た若者が急に近づいてきた。そして、かなり流暢な英語で話し掛ける。日本語もちょっと使う。それが、ムーニーだった。今ちょうど、日本語教室をしているから、入って話をしてくれないかという。英語教室もやっているという。かなり走っていて、汗もかいていたが、面白そうなので、即座に同意。

 ほとんど喋れないカンボジア人の日本語教師が教える日本語教室と、やはり、あまり上手ではないカンボジア人英語教師の英語教室の両方に顔を出し、自己紹介や日本の話を少ししたのを覚えている。が強く印象に残っているのが、1階にあったムーニーの事務所だ。事務所というよりは、事務所で私が彼と話した時の驚きだ。カンボジアの労働者の弱い状況、政治・行政の腐敗、しかし何とか軌道に乗り始めたここでの教室。彼は英語力だけではなく、法律や経済の知識と実務経験が豊かであることが直ぐにわかった。古いコンピューターも土間の事務所に置かれている。10年前の首都プノンペン訪問(この時はユネスコカンボジア事務所とその支援施設を訪問)と今回の旅。私のこの国での経験は浅いが、こんなに元気のよいそして先見性のある青年に会ったのは初めてだった。カンボジアの男性は老人が多い。壮年者の多くは知識人として殺されたかそうでなくても、内戦でどちらかの軍に徴用され、やはり多くが死んでいる。生存していても、近代的な学問を習得する機会を奪われていた。一部の金持ちで、好運にも海外に逃亡できたエリート以外は。

 彼は、勿論そうではなかった。もしフランスやイギリスに逃れていれば、今は政府の高官になっているかもしれない。(たぶん彼のphilosophyがそれを許さないだろうが。)彼は難民キャンプ育ちである。バッタンバンというタイ近くの土地に生まれ、内戦を避けて家族と共にタイ国境付近の難民キャンプで10歳くらいから約10年間過ごしたという。これは彼の父親の賢明な選択であった。もし、村にとどまっていれば、たぶん彼はポルポト軍に徴用され、少年兵として地雷を敷設する側に回っていたかもしれない。国際難民キャンプの実態を私は詳しくは知らないが、とにかくこのキャンプで基礎教育から始めてかなり高度な教育を受けたようである。かっての支配者フランス人や英語圏のボランティアたちが教師役を務めたのであろう。教育はまさに「未来を開く鍵」である。彼の今日あるは、この時の教育のお蔭である。

 20才頃にキャンプを離れ自立をめざした彼は、最初は首都のプノンペンで数年間国際機関や外国資本の会社で働き、英語やコンピューターの技能を磨いたようだ。私が出会った時は、シエムレアップ市で日系の遺跡修復事業(会社)を退職した数ヶ月後であった。労働組合の活動を中心的に担うようになり、そのため会社に留まるのが難しくなたということであった。それで、彼は独立したのだ。

 あの出会いから2年半。今現在は、労働組合連合(この地区の建設労連、観光労連、繊維労連の統合体)の長であり、また、若者の自立を支援するASAの創設者(代表は彼が育てた若者、アニス君)として、ますます人望を集めている。近代的な法意識の低いこの国では労働者は悲惨である。彼の傘下の労働組合員は3000人近くになるという。また、ASAはコンピューター、英語、日本語の教室を開いている。子ども、お坊さんそして青年たちに少しでもよい就職の条件を身に付けさせるためだ。授業料はコンピューターは5回で1ドル、英語・日本語は10回で1ドルである。街の学校の三分の一だ。

 この2年半、しばしばメールを通じて彼の相談にのり、またささやかな金銭支援もし、学生たちと直接の訪問もしてきた。メールで、彼はMy brother Kawabata-sanと書いてくる。「同士」のつもりなのか、弟のつもりなのか。これからも、交流・支援はできるだけ続けたいが、続けるのはそれだけではなく、若干34歳、カンボジアの「坂本竜馬」の研究でもある。竜馬のように、志し半ばで暗殺されないことを祈りつつ。

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