秋の虫

小原 金平


 秋になり、受験生の皆さんは、これまでのクラブ活動も後輩に任せて、大学受験対策を中心にして高校生活の終盤を過ごしておられることでしょう。夜勉強していると秋の虫が鳴いているのが聞こえてきますね。彼らは何か語りかけてきますか?それとも単なる邪魔にしかならない雑音ですか?ある人に拠れば、日本人は虫の声を右脳で論理的に処理しているそうで何かのメッセージに聞こえても決して異常なことではないようです。「頑張ってね」のエールに解釈できるかもしれません。


 先日のある早朝、私はふと目が覚めたのですが、静けさの中に庭のこおろぎの鳴き声が聞こえました。この時はなぜかはっきりと聞こえ、なんとなく注意を向けていると、同じメロディーで鳴いているように思えました。せいぜい1小節くらいのフレーズでしょうが、これを繰り返しているようです。さらに聞いていると、1小節鳴いて、ポーズを入れ(この間に息継ぎでもするのでしょうか)、次には一気に2小節分鳴きます。そしてポーズ。これを1単位のパターンにして繰り返しますが、どうも完全に同じパターンの繰り返しではないようです。私はいっそのこと起き上がり、外に出て、このこおろぎ氏(この時点で私は彼を「一節太郎」と名前をつけていました)に会いに行こうかと思いましたが、このあたりで集中力も失われ疲れも出て、いつの間にか再び眠っていました。しかし、意識的に覚えようとした結果、あのフレーズは覚えています。


 「英語は音楽だ」という先生が多く居られます。シェークスピア劇の台詞を聞いて、音楽のようだと感じる人も多いはずです。英語に限らず、どのことばにしても事情は同様でしょう。現に、身近なところで中国語は声調により意味を区別する言語ですし、英語でもストレスやイントネーションが、予想以上に重要な伝達機能を持っています。日本語を話している我々は、そういう面をやや軽視しているように思えます。何ヶ国語も話せるある先生は、勉強の一つとして、話の内容ではなく音調だけを聞く練習をしたそうです。当時の私にはよく理解できませんでしたが、今思うとこれは外国語学習にきっと効果的だろうと思います。そう言えば、金田一春彦氏は、浦島太郎の歌の何番かの「帰ってみれば、コワイカニ」の最後の部分を子供の頃「恐い蟹」だと思っていたそうです、確かにことばとメロディが一致していて最もな感じがします。メロディーの影響でもあり、金田一先生はテレビ講座で、この部分はメロディーを変えるべきだと言っておられました。


 私は、先ほどのこおろぎ経験をアメリカ人の友人にメールで話したのですが、彼には何の違和感もないようで驚きを期待していた私は少々がっかりでした。むしろ、ついでに似たような経験を語ってくれました。彼も日本人的に右脳で処理しているのかもしれません。ただし、詩や小説を書いたりする友人なのでことばの感性がアメリカ人にしては鋭いという可能性もあるでしょう。

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