物語を書く人

水井 雅子

『物語の紡ぎ手 アリソン・アトリーの生涯』

 最近、非常に面白い伝記を読んだ。「幼年文学の名手」と言われているアリソン・アトリー(1884-1976)の大部な評伝(『物語の紡ぎ手 アリソン・アトリーの生涯』デニス・ジャッド著、中野節子訳、JULA出版、2006)である(右の写真。クリックすると拡大できます)。

 アリソン・アトリーって誰?と思う向きもあるかもしれない。彼女は、児童文学の中でも幼い子供達に向けた作品を書き続けた作家であるが、ウサギやリスなどの小動物を登場させた物語では、ビアトリクス・ポターの『ピーターラビット』の方が有名だろう。『グレイラビット』シリーズや、『サムピッグ』ものを書いた人と言えば、分かるだろうか。グレイラビットをキャラクターに持つ銀行も日本にはあるから。

 アトリーは、『ピーターラビット』(1901)の絵本を作ったビアトリクス・ポター(1866-1943)と、よく並び賞される。確かに、一見したところ登場する動物達やその環境、挿絵の感じ、本の作りが似ているために、その作風自体も似ているように思われ勝ちである。しかし、単に似ているというだけであれば、あれ程アトリーの作品が好まれるわけがないだろう。似ていながら非なるもの、と言うことができるように思われる。その違いは是非、作品を読み比べてみてほしい。

 アリソン・アトリーとビアトリクス・ポターは、生まれた年代に約20年の開きがあり、階級も異なり、全く異なる育ち方をしており、経歴も生き方も異なっている。それでいて、二人ともに科学者的な面を持ち合わせている幼年文学の作家である。アトリーは実際に入学した大学で女子としては二番目の科学専攻の学生で、理科の教師になった。(当時、女子大生自体、非常に数が少ない存在だったし、ましてや理学部などは更にそうだった。)裕福な家に生まれたポターも、子どものころから「観察」し「それを絵にする」ことが大好きで、買い込んだ顕微鏡で茸の観察を続け、論文まで書いた。もっと後の時代に生まれていたら科学者になっていたかもしれない。ペニシリンに通じる発見をしたというのだが、当時の学会では女性が発表することは出来なかった。ポターは中産上流階級の子女に相応しく、学校などという「野蛮な」ところへは行かされず、家庭教師から教育を受けた人だったのだから、このこと自体が驚くようなことではないのだろうか。

 しかし、アトリーは、似ているなんて言われるのは「真っ平ごめん」だったらしい。彼女自身、そのように言っている。確かに、作品自体は、似ているようで全く違ったものであり、アトリーの気持ちは分からないではない。しかし、前述したように、登場する主人公が小動物たちであり、本の作りも小さく、見開きで右が絵で左ページに物語が書かれており、絵が白いページの真中に納まっている点、更に絵の感じなど、似ているところも多い。彼女の物語が子供達に好まれた大きな要素の一つに、挿絵画家のマーガレット・テンペストの功績もあるが、その絵がポター的であるのも否めない事実である。(ポターは絵も自分で描いたのだったが。)ポターの『ピーターラビット』は世界を席巻するほど有名であったから、自尊心の強いアトリーにとっては尚のことであったろう。作品を書くことになった理由も違うし、性格も異なる。しかし作家の個性に、やはりどこかに如何ともしがたい共通性というものが感じられ、そこに私は興味を引かれた。それは先ず、二人とも強烈な個性の持ち主であり、自己主張が激しく、共に暮らすには生易しい相手ではなかったということである。それは彼女たちの作品からだけでは、なかなか伺い知ることが難しいものである。

 ポターは40才を過ぎてから、事務弁護士のヒーリス氏と結婚した。ヒーリス氏がポターについて語るときには、彼女が亡くなった後もまるでポターが生きているかのように、辺りをはばかるようであったという。またアリソンは学生時代に結婚相手を見つけて早々と結婚したが、何年か後に夫のジョージ・アトリーは自殺している。彼を追い詰めたものの一つに、アリソン自身の支配的で強い性格が数えられてもいる。一方、お互いが愛し合っていたことは確かであり、どんな奥さんだったのかは是非読んでみてほしいところである。

 また、二人とも自然が不可欠の存在であった。これは作品から伺い知ることが出来る要素であるが、そのこだわり方も尋常一様ではない。ロンドンという都会に生まれたポターが、若いときから関わった自然環境保護団体のナショナルトラストに寄付しつづけた土地は、野球場にして1600個分であり(ワーォ!)、ポターと自然保護の関わり方を如実に示すものであるが、そこに夫のヒーリス氏の影は見えない。田舎に育ったアトリーが子どものころに畏れながらも引き付けられずにはいられなかった自然の美しさと脅威に、もう一度深く関わり、自然に慰めを見出すようになるのは、夫アトリー氏の死後である。

 一方、結婚した後、ナショナルトラストに関連する以外の執筆活動は止めてしまい、牧畜の仕事に専念し、いわゆる世間から離れて暮らしたポターと、取り付かれたように人生の最期まで物語を紡ぎつづけ、常に作品の売れ行きや世間の評価を気にし続けていたアトリーが生み出したものは、やはり全く異質のものである。一人息子へのアトリーの異常なほどの執着も支配欲も、ポターには感じられない粘着質のものである。しかしアトリーの場合、そのために彼女自身が苦しんだことも確かであって、感受性が強すぎる者の悲哀も感じられる。

 今までポターについては資料もあって分かっていたが、今回アトリーの伝記を読んで、その「性格の強烈さ」という点にポターとの類似性を感じた。彼女達のことを知れば知るほど、彼女達自身と、それぞれの作品の愛らしさ、そのメッセージの素晴らしさとの間のギャップの大きさが浮き彫りにされ、そこが非常に人間的であり面白かったのである。アトリーは共に暮らすには「大変な」むしろ「嫌な」相手かもしれないけれど、調べ尽くして愛情を持って描かれたこの伝記を読んだとき、彼女に対する賛嘆の念と憐憫の情とが同時に沸き起こるのを感じ、それは不思議な読後感であった。

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