わたしが子どもを好きになるまで

前川 浩子

まこちゃん(1歳) よく、人からは見た目で若いと言われるが(自慢!)、これでも正真正銘のオバさんである。2人の姪を持つ叔母なのである。しかし、自分を「おばちゃん」と呼ばせることにはやはり抵抗があり、実際は名前で呼ばせているが・・・。そんな姪も、上の子が4月から小学校1年生になった。大人の足でも大変な坂道をがんばって歩いて学校に通っているようだ。先日は「たくさん、おともだちができたよ!」と電話がかかってきた。彼女が小学校に入学するということを誰よりも感慨深く思っているのは彼女の両親に他ならないけれど、叔母であるわたしも、やはり静かな感動を覚えてしまう。

 そんな私も、この子が生まれるまでは子どもが嫌いだった。うるさい、すぐ泣く、言うことをきかない、そんな子どもが嫌いだった。そんな私に姪ができ、おずおずと抱っこをし、あやすうちに、「ああ、子どもっておもしろいかもなあ」と思うようになったのだ。人に言わせれば、「かわいい」ではなく、「おもしろい」という感想を持つことが、まずおかしい、とも言われたけれど・・・。

 兄夫婦の子育ての様子から思ったことは、やはり子どもを育てるのは大変だ!ということだ。最初のうちは数時間おきにミルクをあげなくてはならず、大人は寝る時間でも赤ん坊はミルクの時間だったりする。おむつを替えるのも大変、お風呂も大騒ぎ。周りの大人はクタクタだけれど、それでも、赤ん坊が笑うようになれば「笑った!」とはしゃぎ、声を出すようになると、「しゃべった!」とまた喜ぶ。そんなひとつひとつの小さな出来事が、子育ての大変さを癒してくれるのかもしれないと思った。

まこちゃん(1年生) 6年間、彼女の成長と発達を眺めてきた。生後9ヶ月ごろには、こっそり抹茶アイスを舐めさせ、「苦い!なんじゃこりゃ!」というなんともいえない表情に笑いながらも感心し、1歳半頃には、「あか」、「あお」は言えるのに、「みどり」が「どどり」になってしまうのを、「みーどーり」、「どーどーり」、「だから、み、ど、り、だってば!」と必死に教え、それでも彼女は「どどり」のままで、気がつくと「みどり」と言えるようになっていたことも今では懐かしく思い出す。やがて、一人でトイレに行けるようになり、洋服のボタンも留められるようになり、数も数えられるし、文字も読めるようになった。ひとつひとつ、彼女は発達の課題をクリアしてゆく。クリアするまでは周りの大人はとてもはがゆいけれど、しかし、クリアしてきた課題を振り返ってみると、「よくできたなあ」と感心してしまう。

 彼女が生まれたことで、私は子どもに対する概念が大きく変った。「うるさい、すぐ泣く、言うことをきかない」というのは、全て私の都合による概念だったのである。今、私が一番好きなのは、子どもが力いっぱい泣く姿だ。大人の言う理屈なんか理解できるわけがない。自分がもつ小さな世界と、大人の理屈との間で、精一杯泣いて戦って、解決しようとする。そんな姿を見ると、この子たちも自分の世界の中で力強く生きているのだなあと感じる。子どもたちが健やかに成長、発達していくには大人は何をしたらいいのだろう。こういう問いかけが自分の中に沸いてくる。この問いかけの答えに向かっていくために、電車で子どもを見つけるとじいーっと観察をしたり、子どもを持つお父さん、お母さんに会えば、いろいろと話を聞いてみたりしている。子どもについて積極的に知りたい、関わりたい、と思うようになったのだ。言わば彼女の誕生が今の私を作ってくれたようなものなのかもしれない。

 6年間の姪の記録は、私の研究者としての軌跡でもある。これからの彼女の発達曲線にはかなわないけれど、私も負けないように、まだまだ研究者として発達していきたいと思っている。

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