時代の風に吹かれる子どもたち -K・パターソンの作品―

水井 雅子

 社会が問題を抱えているとき、そのあおりをまともに受ける犠牲者は子どもたちである、ということを考えたことはありますか?その端的な例は戦争でしょう。子どもに関わりないところで大人が勝手に始めた戦争で、どれほどの子どもたちが悲惨な目にあっているかは、最近のテレビの報道などからも良くわかります。戦争は、余りにも暴力的に突然、日常性を変えてしまうので、それが異常な状況だということは、誰の目にも明らかですから。

 しかし、戦争だけが問題を抱えている社会を示しているわけではありません。その変化が一見緩やかで、日常性がそれほど崩壊してはいないように見えても、確実に崩壊している中に身をおいている子どもたちもいます。現代は生きにくい時代だとよく言いますが、それはある意味、本当です。社会が複雑に進化すればするほど、学ぶことも多く、大人になるのも遅くなり、複雑な社会に適応すること自体が難しい状況になることは想像に難くありません。大人でさえ、中で感じるストレスも大きく、それ自体が社会問題になっています。本来、子どもを守ってくれるはずの家庭も、もろく壊れやすく、頼りになりません。光の部分が大きくなれば闇もまた大きくなり、安全も買わなければならない時代です。そして世界が豊かになったと言われつつ、その恩恵を蒙らない子どもも大勢います。

 では、素朴な時代であれば生きやすかったのか、というと、そうとも言えないのです。人は懐古的になりやすいものですが、戦争でなかったとしても、社会が問題を抱えているのは時代を問いません。子どもの人権などという言葉さえ存在しなかった時代も、つい先ごろまで、長い間続いていたのですし、経済格差という言葉さえ存在していなかった時代から、乗り越えられないほどの経済格差は階級間に厳然と存在していたのですから。

 とはいえ、どんな時代でも、その時代の風に吹かれながら子どもは成長していかなくてはならないわけで、その点にだけ目を向けると「なんと悲惨な」、と思わずにはいられないのですが、実は子どもたちというのは、時として大人の常識を超えたすばらしい存在なのだということを教えてくれる物語があります。そういう作品を書いてくれる作家たちがいるのです。今日はそんな作家の一人、アメリカのキャサリン・パターソンの作品を紹介しておこうと思います。

  • 『テラビシアにかける橋』
  • 『海は知っていた』
  • 『ガラスの家族』
  • 『父さんと歌いたい』
  • 『もう一つの家族』
  • 『かぼちゃ畑の女王さま』
  • 『ワーキング・ガール』
  • 『北極星を目指して』

 家族の中で一人だけ浮いている寂しさを抱え、その寂しさを埋めてくれた友達が死んでしまった子ども、親が養育を放棄しただけでなく孤児院にも養子先にも面会に来てくれない子ども、大好きだった父親が本当の親ではなかったことを知った子ども、どこの誰かも分からず成長したのが実は奴隷の身分であったことが分かり、奴隷の身分に戻されそうな子ども・・・

 パターソンの扱う子どもたちの生きる時代は、奴隷制がまかり通っていた時代から現代に至るまで、実にさまざまですが、彼らは、与えられた環境の中で、心に傷を抱えながらも、その子どもなりに精一杯生きている子どもたちです。自分なりの幸せを求めて、必死に生きる、その真摯な姿が読む者の胸を打ちます。そして、自分一人がまともに生きていくだけでも大変だろうに、他者にまで心を配るその優しさに、思わず涙する読者もいるでしょう。

 彼女の作品に登場する大人たちもまた、実に生き生きとした人物描写で彩られています。社会のはみ出し者のまま大人になってしまったような人たちや、社会体制の中で胡坐をかき、あるいは酷薄な社会に打ちひしがれて、想像力や優しさを失くしてしまった大人たちもいる中で、子どもの心を理解し、子どもに媚びるのではなく、一人の人間として対峙する大人たちが魅力的です。どの物語も、子どもがまともに育っていくのには何が必要なのかを、教えてくれてもいます。

 図書館の蔵書に入っています。読書の秋に、ぜひ読んでほしい作家の一人です。

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