三匹の動物の終の旅【リレーエッセイ:書評】

『コーラの木の下で』

水井 雅子

『コーラの木の下で - ライオンとゾウとハシビロコウの終の旅』 びごーじょうじ 作・絵

 軽妙洒脱な絵とともに語られる、三匹の動物の旅の物語は、子供向けの絵本ではない。副題に「終の旅」とあるように、死を間近に控えた老いた動物たちの物語であり、作者自ら老母を介護した体験から語られる、「老い」と「死」、「生きること」への考察でもある。
主人公たちが、ライオン、ゾウ、ハシビロコウという動物の姿を取っているのは、舞台をアフリカにすることによって寓意性を上げるためのリアリティーへの配慮と、人間であるよりは直接性が避けられたということ、またユーモアを出すことができたということ、そして人間世界への痛烈な批判をオブラートに包みつつ且つ説得力を持たせるための、実に巧みな設定である。

 年老い、脳梗塞を患って体が不自由になり、リハビリ生活を余儀なくさせられた独り者の老ライオン、「耳以外成長障害」という奇病のために、耳だけは普通の象の大きさだが体が育たなかった小さな老ゾウ(彼は子象のときからいじめられどおしで、死ぬ前に一度で良いから輝きたいと願っていた)、そして、何時間でも身動き一つせずに「待つ」ことによって水辺の魚を取って暮らしてきたのに、これまた年老いて動体視力や反射神経等、運動神経全般に支障をきたし、肩や首の凝りや痛み、腰痛、膝痛に悩まされるハシビロコウ。それぞれが、今後を考えて一歩を踏み出したときに、この三人(三匹)は出会った。

 「人間だけが平均寿命が延びている」という「けしからん」話を聞きこんでいたライオンは、もしかしたら、自然界で生きていくよりも人工的な環境で暮らす方が、病気に対するケアや医療の面から「断然よい」かもしれないと思い始める。それが「動物園で暮らそう」という発想になったのである。「驚くべき平均寿命」の話を聞いたゾウは、かねて願っていた「死ぬ前に一度で良いから輝く」ために、サーカスへ入ろうと考える。空からセスナ機が撒いた「サーカス団員募集」のチラシを拾ったゾウは、その心躍る誘い文句に夢を託したのだった。一方、肉体のみならず神経の衰えに絶望したハシビロコウは、死を考える。そして「究極のネガティブポイント」である「死の谷」を目指していた。

 ライオンとゾウは、それぞれが人間界で、動物園とサーカス団に入ることが出来たものの、現実の厳しさと人間界の醜さ、恐ろしさに怖気をふるい、必死で逃げだした。老体に鞭打って走って、走って、やっとサバンナまできた二匹が出会ったのは、二人のそばを風のように駆け抜けていったハシビロコウだった。いつまでたっても行き着かない遠い「死の谷」へと歩いている間に、ハシビロコウの体に血が回り始め、脚の痛みはとれ、重かった内臓は軽くなり、目もよく効くようになり、翼も自由に羽ばたくようになって、「墓場探し」を中止してサバンナへ戻ってきたところだった。三匹は、再会できたことの嬉しさに軽やかなステップを踏んで踊るのだった。

 この後、三匹は、生まれたばかりの捨て子のサルを拾い、見捨てることができずに育てることになる。容赦なく年老いていく彼らと、すくすくと未来へ成長していく幼いチンパンジーの対比が鮮やかである。三匹には「死」が待っているのであるが、この「育児」をすることによって物語は、救いへと導かれていく。独立心の強いハシビロコウは、ある日、水辺にたったまま息を引き取った。しかし老年痴呆症を患ったライオンは、幼いチンパンジーがその相手となり、その最期は、成長したチンパンジーの親子とゾウに看取られた。多分、幸せな最期だっただろう。今や、ゾウがうつうつと眠ることが多くなってきた。「生きる」ことの意味を問い続けてきたゾウにとっては、夢うつつにも「終の旅」は終わっていない、らしい。しかしサバンナには珍しく、やさしい風が吹き渡っている。

 「誰にも、否応なく、必ず訪れる死」と「誰もが何とかして、生きていかなければならない生」の意味。考えさせられることの多い物語である。

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