「いのち」のこと【リレーエッセイ:書評】

前川 浩子

『あなたのために いのちを支えるスープ』 辰巳芳子 著 文化出版局 2002年

 しりとり。それは,5歳になる姪と私のお気に入りの遊びだ。

 大人にとっては簡単なしりとりも,相手が5歳の子どもとなると軌道に乗るまではなかなか大変で根気が必要だ。前の人が言った単語の最後の文字から始まる単語を言うんだよとか,「ん」で終わる単語を言ってしまうと負けだよといったルールを5歳児にもわかるように説明しなくてはならないし,いざしりとりが始まると,5歳児にもわかる単語を作らないといけない。少しでも理解できない単語を言おうものなら,「ねえ,それってなに?」と質問攻めだ。それでも,子どもというのは飲み込みが早いもので,しばらくするとスムーズにしりとりが続くようになる。5歳児の語彙力にも驚かされることもしばしばである。そんなある日,いつものしりとり遊びの中で姪が発した言葉,それが「いのち」だった。
 「いのち」という言葉の意味を彼女が本当に知っているのかどうかはわからない。それでも,小さな女の子から発せられた「いのち」という言葉に静かな感動を覚えたことは今でも忘れることができない。

 今回,取り上げたいと考えた本は,小説でも評論でもない。いわゆる料理本である。料理家であり,随筆家でもある辰巳芳子氏によって書かれた「和の汁もの,おつゆ」と「洋風スープ」の教科書だ。しかし,これは料理の教科書であるだけでなく,「生きること」の,そして,「いのちを支える」ための教科書であるとも言える。

 辰巳氏が「スープ」に情熱を抱くきっかけはお父様の介護にあった。嚥下困難であるお父様のために思いついたのがスープ。さらさらとした液体では,嚥下困難の人はむせてしまう。そこで,食材を組み合わせ,とろみのあるスープにすることで,お父様に安心して召し上がっていただくことができたと言う。お父様のいのちを支えたスープだったのである。

 この本では,出汁のこと,水のこと,みそのこと,火力のことなど,なかなか細かく,そして厳しく(笑)書かれている。「きちんと,しっかり作る」ということが基本にあるので,固形スープの素も使わない。鶏のブイヨンの作り方から書いてある。この通りに作っていたら,一体いつ食卓に着けるの?と思ってしまうかもしれない。このやり方は現代の生活にはそぐわないとも思ってしまうかもしれない。しかし,そんな私たちの思いはすでに辰巳氏にはお見通しのようだ。こんな一節がある。

 若い方々の中には,煎じ仕事―――炊き出すなど辛気臭く,自分の暮らしには不必要と思う方があるかもしれない。しかし,元気な人々も疲労にさいなまれる日があろう―――大人は見落とすけれど,子供でさえも疲れはある。
 まして,いたわらねばならぬ生命への対応は,いつ我が事になるかわからない。他人事ではないのである。身についたものがなくては,いざの時,意のままにならぬ自分を嘆くことになる。
  愛につられ,無心に,
  よくなるように,よくなるようにと,
  鍋中を見守る。
  いつしか天は,用意のある人をつくり,
  いざの時,必ず,手を差しのべる。

 手間暇をかけて料理をすることが忙しい現代にそぐわないと考えるのではなく,いつか起こるかもしれない「いたわらねばならぬ生命」のために,「いざの時」のために,無心に鍋を見守ることができる「用意」を身につけておく時間を意識的に作ることが,私たちのいのちをつないでいくことなのかもしれない。
 そしてそれは,5歳の子どもにしりとりを教えることと同じくらい根気のいることなのかもしれないが,始めてみれば思いのほかスムーズで,そのうち楽しめるようになるものなのかもしれない。

 

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