人の移動と社会学【人間学への招待】

中西 茂行

 30年程以前のことになるが、国立民族学博物館の東ヨーロッパの展示コーナーでジプシー(ロマ ※注)たちのすみかである「ルーロット(家馬車)」を見たことがある。綺麗な内装が施されたそのキャンピングカーのような乗り物の説明文に、「主人が死ぬと、この馬車は燃やすことになっている」という風なことが書かれてあり、軽いショックを受けた覚えがある。私の脳裏に浮かんだのは、多分、その頃学んだ日本民俗学の本に取り上げられていた、九州、瀬戸内海の漁民の生業のための家産、「家船(えぶね)」の扱いとの相違であったと思う。漁業を生業とし、近世に至るまであるいは明治期に至るまで、ほとんど海上の船で家族が生活を成していたこの漂泊民の人たちは、移動する生活という点では、「ルーロット」で各地を移動するジプシーの人たちと似ている。しかし、移動手段、生活資産に対する扱いがまるで違う。一方は、焼却してしまう。他方は、末子相続と言って、一番末の子に家産として譲り渡すのである。(竹田旦, 1970, 『「家」をめぐる民俗研究』)。
 つい最近、私のこの軽いショックに答えてくれる文章に巡り合った。その著者は、ジプシーの「ルーロット」焼却のことを述べ、続けて、次のようなエピソードを紹介している。

 昨今、巷で問題になりがちな「遺産相続」のはなしどころではない。ピカソが、ある時、意気投合したジプシーに、自分の傑作を贈ろうとしたところ、そのジプシーは「もつことは、わたしたちのならわしではありません」と、その絵の値打ちはよく知りながら返したという。

(片倉もとこ, 1998, 『「移動文化」考』)

 ここには、移動することそのものを生活とする民の哲学が表わされている。

 ところで、上に紹介した内容は、学問分野で言えば、日本民俗学、文化人類学による知見である。私は、社会学を専攻している。社会学は、人の移動に関してどのようなスタンスを取ってきただろうか。社会学においては、これまで「人の移動」を真正面から取り組んで来なかったという言説もある。しかし、グローバル化が日常化している今日、社会学が人の移動に目を向けないでは、すまされない。事実、ここ十数年、人の地理的移動をテーマとした社会学的研究は盛んになって来ている。また、それ以前においても人の移動に関する優れた研究が無かったわけではない。
 問題は、人の移動を研究テーマとする時、社会学はどのような独自の視点を持ちうるかである。私は、1つの重要な視点は、「国民国家(1ネーション・1言語・1国家)」を焦点に据えることであると思っている。日本という国民国家の近代化、現代化における国民国家形成過程での人の移動と国民国家を越境する人々の移動について見てみることである。

 前者について例を見れば、「故郷に錦を飾る」と星雲の志を抱いて上京した若者の動向もあれば、郷党閥、学校閥という「第二のムラ」(神島二郎)によって利害的、情緒的に守られた人々もいる。また、「向都離村」「故郷喪失」という言葉も社会学者に一般的に受け入れられている。
 後者の例について言えば、1980年代以降、エルドラド(黄金の国)日本にやって来た外国人労働者、移住者の人々の移動。沖縄(琉球)から日本本土(?)に移動した人々のアイデンティティの問題がまず想起される。しかし、国民国家を越境する人々の問題は、現代に特化した問題ではない。明治41年、笠度丸に乗ったブラジル移民とそれ以降のブラジル移民は、「大和民族の発展」のため渡航を勧められている。(富田仁編, 2008, 『事典 日本人の見た外国』)あるいは、「五族協和」(漢民族・満州民族・朝鮮民族・日本民族・蒙古民族の共和)のスローガンの元、満州国という幻想の国民国家建国のために海を渡った人々もいる。いずれも国策に夢を託して海を渡ったのである。

 人は、自分の移動についてとりわけ重い意義付けをしない場合もあれば、逆に重要なる使命を胸に秘める場合もある。アメリカの西部開拓、フロンティア精神とは、「神が我々に分け与えられ給うたこの大陸」に我々が進出していくのは「明白なる天命(マニフェスト・デスティニー)」であるというイデオロギーに支えられた。(山里勝己編著, 2011, 『<移動>のアメリカ文化学』)。また、上に記した「五族協和」とは、日本の歴史において、満州国建国の理念、イデオロギーであった。この二つの出来事の歴史的評価は別にしても、両者とも国民国家形成を正当化するイデオロギーであったことに変わりはないのである。
 
※注 「ジプシー」という表記については、片倉もとこ, 1998, 『「移動文化」考』岩波書店 に依った。

 

Comments are closed.