美味しい時代劇【リレーエッセイ:書評】

中崎 崇志

『鬼平犯科帳』 池波正太郎 文春文庫
『剣客商売』 池波正太郎 新潮文庫

 高校に入った頃から,時代小説を読んでいます。
 ほとんどがフィクションで,最近はあまり新しいものを買い足すことはせず,気に入ったものを何度も読み返すこと方が多い気がします。
 大学に入る少し前に,テレビで『鬼平犯科帳』(原作:池波正太郎)の新シリーズの放映が始まりました。中村吉右衛門演じる“鬼の平蔵”こと長谷川平蔵が『火付盗賊改方,長谷川平蔵である! 神妙に縛につけい!』と悪人を一喝! 台詞だけでなく,その所作や目力からも伝わる迫力は,さすが歌舞伎役者です。
 何もかもが面白くて,原作小説を手に取りました。手頃に読める短編がそろっていたのも理由の一つでした。『鬼平犯科帳』は,その後現在に至るまで4回の引っ越しの際にも一切処分せず,ずっと所持しています。

 小説にはドラマには描かれないさまざまなもの,さまざまな場面が登場します。その中で気になったのが「とても美味しそう」だったことでした。
 その後,同じ池波正太郎の『剣客商売』を手にとって,またもや「とても美味しそう」だと思うことになりました。
 池波ファンの方々にはもうおわかりですよね。鬼平にも剣客商売にもさまざまな料理が登場し,そして,それらの多くが作る手順まで小説に描写されているのです。鬼平のドラマ版では「猫どの」と呼ばれる村松忠之進という同心が,料理に一家言ある人物として設定されていますが,台詞で説明することが多く,実際に作る場面はそれほどたくさんありません。
 しかし,小説は違います。
 池波作品には,料理の場面が必須と言えるほどによく登場します。それが当時の風物を知らせる時代描写ともなっています。そして,それを食べる登場人物が,とにかく美味しそうに食べるのです。

「ま、飯を食べながらはなそう。さ、早く……早く爺つぁん、飯にしてくれ」
 舌が焼けるような根深汁(ねぎの味噌汁)に、大根の漬物。小鉢の生卵へ醤油をたらしたのを熱い飯へかけて、
「む、うめえな……」
 と、二十何年前の〔本所の銕(てつ)〕そのままの口調になった平蔵が、昨夜のいきさつを語り終えて、
「それでな。おれと孫八は、すっかり息合が合ってしまったのだ。ああ、うめえ。もう一杯……それに根深汁もな……」

(鬼平犯科帳 第13巻『墨つぼの孫八』)

 早朝,密偵たちの住む家に飛び込んできた平蔵が,たまごかけごはんとねぎの味噌汁と大根の漬物という朝食を食べている,という場面。なんともたまごかけごはんや根深汁が美味しそうだと思いませんか? つやつやしたごはんに鮮やかな黄色のたまごが思い浮かんでくるようです。

 すわった平蔵の前へ、盆が運ばれて来た。
 熱い飯に味噌汁。里芋と葱のふくめ煮と、大根の切漬がついている。
「ふうむ……」
 平蔵は、里芋を口にし、感心をした。
 里芋と葱とは、ふしぎに合うもので、煮ふくめた里芋に葱の甘味がとけこみ、なんともいえずにうまい。なかなかに神経をつかって煮炊きをしている。

(鬼平犯科帳 第11巻『土蜘蛛の金五郎』)

 『煮ふくめた里芋に葱の甘味がとけこみ、なんともいえずにうまい』のわずか29文字で,ああ里芋の煮付け美味しそうだねえ,食べたいねえ,となってしまう,この描写。読んですぐに作って食べるという腕が自分にないのがもどかしくて仕方がありません(笑)。

 赤々と燃えた炉に、大きな鉄鍋が掛っている。
 薄目の出汁を、たっぷりと張った鉄鍋の中へ、太兵衛が持って来た大根を切り入れ、これがふつふつと煮えたぎっていた。
(中略)
 ふうふういいながら、大根を頬張った太兵衛が、
「こりゃあ、うまい」
 嘆声を発したのへ、小兵衛が、
「そりゃあ、平内さん。大根がよいのだ。だから、そのまま、こうして食べるのが、いちばん、うまいのじゃ」
「こ、こんなものを、わし、食うたことない」

(剣客商売『約束金二十両』:『天魔』収録)

 一風変わった老剣客・平内太兵衛と主人公・秋山小兵衛が,小兵衛宅で大根の出汁煮を食べる場面。寒い時期には,確実に大根を食べたくなる描写です。

 他にもいろいろな料理が作られていますが,面白いのは,手が凝った料理だけでなく,浅蜊飯や「ぶっかけ(深川飯ではないかと推測)」などの,ちょっと考えれば自分でも作れそうな「庶民の料理」がちょくちょく登場することです。秋山小兵衛の息子・大治郎と,田沼意次の妾腹の娘・三冬が結婚してすぐ,料理ができない三冬(剣術は強いのですが)が米を炊き,その傍らで大治郎が、

 鉢に生卵を五つほど割り入れ、醤油と酒を少々ふりこみ、中へ煎鴨の肉を入れてかきまぜておき、これを熱い飯の上から、たっぷりとかけまわして食べる。

(剣客商売『川越中納言』:『新妻』収録)

 たまご五つはちょっと多すぎる気がしますが,鴨肉を鶏肉に代えてやれば簡単に作れそうです。ただ,これは現代で言うところの「男の料理」であって,アウトドアならともかく,ちょっと新婚家庭には似つかわしくないような……。
 ところで,この「かけまわす」という表現を,池波正太郎はよく使います。鬼平犯科帳でも,「柿をむいたのへみりんをかけまわした」ものを食べた平蔵が「これはしゃれたものだ」と感心する場面があります(第19巻『おかね新五郎』)。ただ「かける」というよりも,ごはんの上に煎鴨入りのたまごがまんべんなく広がっているようで,より美味しそうに思えます。

 手の凝ったものや素材が入手しにくいものは,簡単に作るというわけにはいきませんが,本職の板前やシェフ,あるいは料理の得意な方ならば,小説の描写だけでも何とか再現できてしまうでしょうし,そういう人が書いているブログを見て,作ってみたこともあります。深川飯は何度か作ってみましたし,作中に登場する食べ物を食べる機会もありました。
 しかし,「美味さ」が違うのです。不味くはないが,鬼平が『ああ、うめえ。もう一杯』というのとは,どうも違う気がしますし,それに及んでいない気がするのです。それがおそらく池波正太郎の「表現の妙」なのでしょう。
 今日もまた空腹時に池波正太郎を読み,「うむむ」とうなっているのでありました。

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