記憶の再生【心理学コラム】

Image courtesy of Shomrat and Levin

中崎 崇志

 プラナリアという生物をご存じでしょうか。体長2~4センチほどの平べったい軟体動物(扁形動物)で,水中で生活し,水底に堆積した有機物を分解する働きをしています。日本でプラナリアという場合は,一般には「ナミウズムシ」を指します。平たい身体に三角形の頭を持ち,上から見るとその頭の真ん中にドラえもんのような愛嬌のある目が2つ並んでいます。
 プラナリアは,趣味で作った小型のアクアリウムにも発生するそうですが,脱皮したばかりのエビに傷をつけたりするなど,そちら方面では嫌われ者のようです。しかし,生物学や分子生物学,神経科学の方面では,昔から極めて興味深い動物として扱われてきました。プラナリアは全身に幹細胞を持っていて,身体を2つに切っても,それぞれの切片が元の姿に再生するのです。
 では,切断されたプラナリアの記憶は,どうなるのでしょうか? 頭と尻尾を分けるように切断されたら,尻尾側――すなわち脳の含まれない切片から再生した個体は,記憶を保ち続けているのでしょうか。ふつうに考えれば,「まっさらな新しい脳」ができたのではないか,と考えたくなりますよね。
 これについて,先日,アメリカ・タフツ大学の生物学者 Michael Levin と Tal Shomrat がおこなった,非常に興味深い研究が発表されました。

 プラナリアは目で明るさを感じ取ることができ,光を嫌う性質を持ちます。そこで,エサを照明で照らし,エサを食べるためには光に近づかなければならないように訓練しました。「エサがほしければ,光を嫌ってはだめなのだ」ということを学習させたのです。これを学習したプラナリアを,写真のように頭部と胴体を分けるように切断しました。2週間経って,胴体の方から再生したプラナリア(胴側個体)を訓練と同じ状況に置いたところ,光に近づく訓練を受けていない他のプラナリアよりも早くエサにたどり着きました。これは,身体のと一緒に脳も再生した個体が,切断される前に学習したことを保持していたことを意味しています。
 もし,記憶情報がすべて脳に蓄積されているとするなら,頭の方から再生したプラナリア(頭側個体)は,学習した脳を引き継いでいるので,学習した成果も引き継いでいて当然です。一方,胴側個体の脳は新しくできたものですから,切断前の学習を引き継ぐとは考えにくいですよね。しかし,胴側個体も切断される前の学習を引き継いでいた(=早くエサにたどり着いた)わけですから,プラナリアの記憶情報は,脳ではないどこか別の場所にも保存されていて,脳が再生されたと同時にそこに引き継がれたと考えられるわけです。

 Levinは次のように語っています。

What we do know is that memory can be stored outside the brain―presumably in other body cells―so that [memories] can get imprinted onto the new brain as it regenerates.
(私たちにわかっているのは,新しい脳が再生したときにそこに刷り込まれるように,記憶が脳の外部に――おそらくは他の体細胞に――保存し得ることだ)

 この研究が注目されるのは,ヒトの記憶の再生,すなわち認知症やアルツハイマー症で失われた記憶が取り戻せる,そういう期待を持たせるものだからです。特に,脳以外のどこかに記憶を蓄積できていたと証明されれば,その期待は一層強くなります。もちろん,ヒトとプラナリアで同じ結果になるとは限りません。何より,失われた脳が再生できなければどうにもなりません。
 現在のところ,私たちの身体はプラナリアのように再生することはできませんが,iPS細胞を使った網膜の再生の研究が始まるなど,再生医療の世界に新たな可能性が生まれつつあります。ただ,臓器や体組織は元に戻せても,心の働きは元に戻せるのか,そこはわかりません。この研究は,それに対する1つの答えを提示したものです。
 さらに,私たちは「記憶を補助するもの」として,さまざまなツールを使います。英和辞典等の辞典やメモ帳・ノート,スマートフォンなどのデジタル機器がその一例です。すべて貯めておくことが難しいので,忘れると困る事柄や,内容をすべて保存しておくのが難しい事柄(=辞書)を外部に保存して利用しています。これがさらに巨大になった「知識の集合体」が,インターネットだと考えることもできます。
 これと同じように,脳以外から取り出した記憶を「外部補助装置」に記録してリハビリテーションを進めるという方法も,可能性としてはあり得ます。脳自体が再生できれば,さらに画期的なリハビリテーション法が生まれるかもしれません。

 今回御紹介した研究は,有用性が高く,さまざまな人に希望をもたらすでしょう。再生医療の進歩と共に,近い将来に現実になるかもしれません。
 しかし,その一方でとても恐ろしい研究でもある気がします。万が一,悪用されたらどうなるでしょうか。そして,現在は禁止されているヒトクローンの問題もあります。SF小説ではクローンは記憶を引き継げないという話も出てきますが,この研究がヒトにも応用できるとしたら,自分と同じ記憶を持った「再生人間」としてクローンが生まれる可能性もあるわけです。そうなれば,1人の人生は1人では終わらないことになります。現在のクローン技術は,体細胞クローン(有名なクローン羊ドリーや,石川県畜産総合センターで誕生したクローン牛「のと」,「かが」など)が可能になった段階で,受精卵からのクローンは技術的にも倫理的にも制限・禁止されていますし,かなり難しいことのようですが,技術的に可能になったら果たしてどうなるでしょうか。
 技術だけでなく,私たちの生命に対する倫理観も進歩させていく必要があります。

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